海老名郷土かるた「も」

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ページ番号1000882  更新日 令和元年11月19日 印刷 

望地から 国分へ架けた 石の橋

海老名郷土かるた「も」

石橋供養塔(望地・国分北)

「も」石橋供養塔

今から約250年前の宝暦の頃(1751~1764)、国分の谷戸に重田七三郎という翁がいました。

目久尻川を望地から国分にかけて渡る木橋がよく朽ちて、旅人が難儀しているのを見かねて、石橋を架けようと「望地村、国分村境石橋勧進帳」として近郷近在に浄財の寄附を募りました。

そのかいがあって石橋が完成し、翁の永眠後27回忌の時に、国分村の名主忠兵衛が石橋供養塔を建てたと伝えられています。

この供養塔は現在残っていませんが、平成元年に目久尻川護岸工事の際に別の「石橋供養塔」が発見されました。これは文化10年(1813)に改めて建てられたものです。
この供養塔は、かつての矢倉沢往還の道筋を示すとともに、翁の義挙を不朽のものとしています。

 

擬木柱所在地:海老名市望地2-1 ガソリンスタンド裏の目久尻川の土手

擬木柱「も」

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