達磨移しの馬鹿面踊り

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ページ番号1000792  更新日 平成30年2月28日 印刷 

今は絶えてしまいましたが、何代か前まで、上今泉の目久尻川の地に、「達磨移し」という踊りが伝えられていました。この土地の人たちは、風祭などで集まって酒盛りをしたとき、最後に必ずみんなでこの踊りを楽しんでから解散しました。
ひょっとこのお面をかぶって踊るこっけいな踊りは、普通「ひょっとこ踊り」といいますが、この土地では「馬鹿面踊り」と呼んでいました。
昔、上今泉にこの馬鹿面踊りの名人がいて、口ばやしで「トコトンツクツ、トトツク、トンツクツ。テケテンツクツ、テケツク、テンツクツ」と踊ると、周りの人たちは自然に体が動いて踊り出し、この人が踊りを止めるまでは、自分から踊りを止めることはできませんでした。
そのころ、隣村にこくし様というへそ曲がりの老人がいて、「他人の踊りにつられて踊り出すのは最低である。馬鹿面踊りなどに心を奪われて、一緒に最後まで踊り続けるとは正気の沙汰ではない」と、あざ笑っていました。
上今泉の人たちは悪口を言われたので腹を立て、この老人と秋の風祭の席で対決することになりました。招待された形で風祭に出席した老人は、名主の家の床柱を背に貫禄を示して座り、名人が口拍子に合わせて、手振り身振り面白く踊り出しても見向きもしませんでしたが、周りの人たちはこれに合わせて、いつの間にか踊り出していました。
老人は達磨のように身動きもしないで座っていましたが、しばらくすると少しずつ肩を上下に動かし始め、やがて両手を膝の上においたまま体をよじり腰を揺すり、踊りに合わせて激しく動き出しました。その前後上下の激しい動きのせいで、老人の体は座ぶとんに座ったまま移動し始めましたが、踊りに熱中していた人たちは、誰も気がつきませんでした。
やがて、みんなが踊り終えたときには、上座にいた老人が座ぶとんごと一番下座に移っていたので、一緒に踊っていた人たちは、今まで自分たちが座っていた位置がわからなくなってしまったそうです。達磨のように座ぶとんに座ったまま、老人が移動してしまったことから、この踊りはその後「達磨移し」と呼ばれるようになり、近くの村々にも評判になって、遠くからわざわざ習いに来た人もいた、ということです。

(こどもえびなむかしばなし第4集より)

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