家伝の妙薬

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ページ番号1000782  更新日 平成30年2月28日 印刷 

相模川は別名「鮎川」とも呼んだぐらいですから、昔から鮎で有名でした。以前は禁漁期間もなかったので、一年中鮎漁ができましたが、捕った鮎はたいてい串刺しにして焼き、いろり近くの天井に保存したものでした。
ある農家の主人が、農作業の後、相模川に鮎釣りに行きました。日が暮れて竿の先も見えなくなってきたので、いざ帰ろうとすると、河原で泣いている娘がいました。訳を聞くと、今朝、川向こうの厚木から、座間に住む親せきに会うため、漁師の小舟で渡ってきたが、約束の時間になっても迎えの舟が来てない、ということでした。いろいろ話し合っているうちに、有名な家柄の娘であることがわかったので、主人は自分の家へ泊めるつもりで連れて帰りました。
農家のかみさんは、娘の上品な様子を見て、丁重に扱って娘を奥の間に休ませました。そして、仕切の戸を閉めようとすると、「開けておいてください」というので、そのままにしておきました。娘が天井ばかり見ているので変だな、と思いましたが、慣れない床で寝つかれないのだろうと思い主人とかみさんは眠りにつきました。
ところが、真夜中を過ぎたころ、ふとんから起き上がった娘は辺りに気を配りながら、部屋の隅にあった踏み台を持ち出し、天井に吊してある鮎を取ろうとしました。背伸びをしても届かないので、思い切ってピョンと飛び上がった拍子にバランスをくずして落ちてしまい、脛にけがをしてしまいました。
主人とかみさんが驚いて起きてくると、娘は恥ずかしそうに、「私はどういう訳か、小さいころから魚の匂いをかぐと見境がなくなって、どうしても食べたくなってしまうのです」と、言いました。
かみさんは、娘の脛が青黒く腫れ上がっているのを見て、急いで打ち身薬をつけてやりました。この家に代々伝わっている打ち身薬は、からしとうどん粉を混ぜ、塩と酢でねったものなので、皮膚に少しでも傷があると強烈にしみるものでした。薬を塗られた娘は、しばらく我慢をしていましたが、やがて物すごい声をあげて狐の姿になると勝手口から逃げ出しました。
それから四、五日たったある晩、かみさんが一人で留守番をしていると、この娘が訪ねてきて、「私は近くの竹やぶに住む狐です。このたびはご迷惑をおかけしたのに、親切に手当てまでして頂き、ありがとうございました。おかげさまでけがも治りましたので、お礼に食あたりの薬を持って参りました」と言って、シイタケのようなキノコを取り出し、採り方や使い方を説明して、「ほかの人にはこのことを決して言わないように」と、口止めをすると立ち去りました。
この薬は、上郷のある家に「家伝の毒消し薬」として、明治の初めまで伝えられていた、ということです。

(こどもえびなむかしばなし第4集より)

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