妖狐出現のいきさつ

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ページ番号1000791  更新日 平成30年2月28日 印刷 

下鶴間村(大和市)の北端に公所(ぐぞ)と呼ぶ四十軒はどの村落があり、その外れに浅間森という小さな丘があったが、古墳の跡だという言い伝えもあって土地の人たちは浅間塚とも呼んでいた。その周りには銃眼のような穴が沢山あってそれぞれに狐が住みついて、さながら狐の城のようだったが、その中に劫を経た古狐がいて、この狐の群を巧みに操って近隣の住民たちを悩ませていた。
忍法でいう影忍のように一方で陽動作戦を起こして騒ぎ立て、村人の注意を引きつけておいて、他の一群がその裏をかき、鶏をとったり祝儀、不祝儀のご馳走をごっそりさらったりする巧みな動きには百姓たちがいくら智恵を絞っても対抗できなかった。この戦国軍師顔負けの奇略と巧妙なかけひきは、みんなこの古狐の指揮によるものだった。
村人たちは狐対策をいろいろ考えたが、ありきたりの松葉いぶしなどはてんで効果がなく、また近くに江戸をひかえているため、鉄砲の取り締まりが特に厳しくて使用できず、神出鬼没に行動する狐の集団には手の打ちようがないので、度々このことを領主に申し出たが「野狐のしまつなどは自分たちでやれ」と取り上げてくれなかった。
この領主の無関心と無策に対する領民たちの不満はやがて不穏な動きに変わっていった。
時の領主は都築又兵衛という旗本だったが、領民たちの不気味な動きを知ると「たかが野狐の問題」などと言っていられなくなり、江戸より大量の硫黄を取り寄せて、硫黄いぶしの作戦を指示し、それぞれの穴の入口で焚かせた。
通日連夜の激しい硫黄のにおいにさすがの狐集団もたまらなくなったのだろう、こぞって鶴間っ原の奥深く移動して行ったが、その移動は狐による被害地が替わったというだけで抜本的な解決にはならず、今度は新開の百姓たちが苦しんだ。
新開というのは、江戸幕府が山林原野の開拓を奨励し、開墾地を一定期間免租したり減税したりしたため、本村から移住した百姓たちが苦心して原中に開いた農地のことで、当時そうした人たちの集まった小さな聚落はどれも新開と呼んだ。
今も地名となって残っている公所新開、鶴間(大和市)新開をはじめ、西から開拓に入って開いた栗原(座間市)新開や座間新開などはみんな昔の農民たちが汗で開いた開墾地の聚落である。
新開の百姓たちは激しい労働で消耗する体力を補うため蛙や蛇はいうまでもなく、蜂の子、こおろぎ、はてはまんじゅう虫(かぶと虫の幼虫)までも食べたが、やがて家ごとに鶏を飼うようになった。
その頃は一般には四つ足は食べない習慣があったが、兎は飼育が簡単で繁殖力が強く、育ちも早いのでこれも沢山飼って食用にした。ところがその鶏や兎は浅間塚を追われた狐の群に狙われて次々と餌食になっていった。
夜間はさしこ(小型の檻)に入れたり、伏せ籠を屋内にまで持ち込んだりして防御につとめたがそれでも狐の被害から逃れることができなかった。領主も渡りかかった橋であとへは引かれず、犬による狐狩りを考えたが、狐よりも小型な地元の在来犬では凶悪な狐の群には歯が立たないので旗本仲間の勧めで唐犬を使うことにした。
唐犬は小牛ほどもある大型の狩猟犬で力もあり気性も激しいので、当時江戸では旗本の間にこれを飼うことが流行し、その威を競っていたが、町奴と呼ばれる市井の親分などまでが力を誇示するため何頭も飼っていたので八方手をつくして犬係つきで借り集めて、鶴間っ原に放って狐狩りをさせたがこれは当たった。
猛犬たちは狐と見れば追いつめて片っぱしから食い殺したので狐の数は日に日に少なくなり、親分の古狐も鶴間領には住めなくなって他領に移って行ったが、どこの土地でも鶴間領に倣って猛犬作戦をとったため永住できず蓼川、深谷、寺尾(綾瀬市)など転々と住家を替え、流れ流れてついに大谷村に居ついてしまった。
大谷村でも猛犬を借りることを相談したが領主は相手にしてくれず、唐犬が作男の三人前食うと聞いてみんな尻ごみしてしまったので猛犬による狐狩りは実現しなかった。
この古狐も始めは山林地帯にひそんでいたがだんだん本性をあらわし、次々に事件を起こして村人たちを苦しめた。それが幕末から明治へかけて村中を恐怖の渦に巻きこんだ問題の化け狐だったのである。
「もしも鈴木文左衛門が銃砲でこれを仕止めてくれなかったら被害は更に広がってとんでもないことになっていたろう」とは、当時の狐騒動を知っていた老人たちが口を揃えて言った言葉である。
海老名昔ばなしが他村のことにわたってしまったが、化け狐の出現に深いかかわり合いがあるのであえてページを裂いた。
この妖狐の話は筆者が大和小学校に勤務していた昭和の初期、鶴間の長老から直接聞いたものである。

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