家庭不和の元凶は狐だった
ページ番号1000769 更新日 平成30年2月28日 印刷
海老名耕地には用水の主幹鳩川があったが、そのほかに小さな用水が幾筋か走り、これらは大抵、堀とか溝とか名付けられていた。そして、そのまた支流ともいうべき名前もない小溝もたくさんあった。
秋から冬へかけて水量が減るとその小溝の深い溜りに小魚が集まるので、地元の人たちはそれを獲ってお正月の昆布巻きの材料などにした。
ある農家の息子は、秋の取り入れが一段落すると魚溜りをかい干しして魚を獲ることを年中行事のようにしていた。獲った小魚は大きさを揃えて串に刺し、炉端でよく焼き枯らすのだが、その焼いた川魚がもとで、この家ではこれも恒例のように毎年必ずもんちゃくが起きるのだった。
それは焼いた魚がここ何年来、その晩のうちに半分ほどが串ごとなくなるからで、お互いに手もとを見た訳でもないのに、姑は野方(田んぼのない土地)から来た嫁が自分の実家へそっと運ぶものと思い、嫁は嫁で、自分の夫が丹精したものを姑がくすねて娘の嫁入り先へそっと届けるものと思い込んでいるからで、それぞれが息子に言いつけたり、互いに嫌みを言い合ったりして、その気まずさはときには正月まで持ち越されることもあった。
息子は狐か狸の仕業であると思っていたので、そのどちらの言い分も取り上げず知らん顔をしてきたが、今年こそ正体をつかんでやろうと心に決め、小魚を一尾一尾丁寧に串に刺しては囲炉裏の中に立て並べた。
ぷりぷりと動いていた小魚の動きが止まると、川魚の焼ける特有の匂いが家中に立ちこめ、夜更けとともに外で動物の動く気配が感じられた。しかし、息子は気にとめる様子もなく、串を裏返して立て替えたり炭を補給して火加減を見たりして子の刻(午前零時)近くまで手をかけると、あとは弱火で時間をかけて乾燥するため炭火に灰をかぶせ、ついでに囲炉裏の灰をつかんで炉端の板敷にうすく丁寧に撒き散らした。
翌朝起きて見たら、予想通り魚は土間に近いほうの半分が串ごと姿を消しており、板敷に撒いた灰には猫よりもずっと大きい動物の足跡がたくさんついていた。
畑へ出かけようとする息子に、姑はそっと「夜中にごそごそと音がしたのは嫁が魚を隠したのだ」と言い、畑にお茶を持ってきた嫁は「夜中に炉端の板を踏む音を確かに聞いた。おっ母さんがどこかへしまったのだ」と告げた。
息子は毎年のことでうんざりしたが、二人に「狐に間違いない。炉端の足跡が何よりの証拠だ」と言って説明した。しかし嫁は「何年たっても自分の連れ合いが信用できないのですか」と泣き、姑は「お前は嫁の肩ばかり持つ」と息子を責めた。息子は、来年からは魚獲りも串焼きも一切やるまい、と決心した。
翌年の秋、二百十日は例年にない荒れ方で方々で屋根が飛ばされたり木が倒れたりした。この家でも屋敷外れの欅(けやき)の大木が根を引き抜くように倒れたが、あらわになった根本の空洞には、怯えたように狐の親子が体を寄せ合っており、その傍らに傘の骨を積み上げたように竹串が重なり合っていたが、その下のほうはすっかりもろけていた。
また何年か前、親戚の婚礼で貰ってきた鰹節がその晩のうちになくなり、家中ですったもんだと言い争ったことがあったが、そのときの桐の箱も噛み砕かれて残っていた。
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