四十二歳の二歳児
ページ番号1000732 更新日 平成30年2月28日 印刷
遠い昔から行われていた行事の一つといわれていたが、五十年ぐらい前にその行事を見たことを子供心におぼえている。
今と異なり、昔は子供が多く、男子は成人の二十一歳ぐらいまで、女子は嫁に行くまで家のために働いたもので、そのために「子宝」といわれたのかも知れない。
おそくなって男の子の産まれる家もめずらしく、この行事も少なかった。”四十二歳の二歳児”といって、四十二歳の男親とその子で二歳の男の子がある家は、その子の生まれ月に、箕(穀物を入れ、から・ちりなどをふって分ける道具)に入れて村の道の辻に捨てる(捨てる前に近所の主婦に拾ってもらうように話をしておく)。
捨てられた子供は主婦に拾われて、捨てた家に届けられる。その時から捨てられた子供は拾ってもらった主婦に対して一生仮の親として敬意を表さねばならないとのことである。
それは今でも暦にあるように昔も子供の厄年は一歳で、男子は四十歳、四十二歳が厄年で、特に四十二歳は大厄とされているために男子四十歳で生まれた子供は親子共に厄年で、子供が二歳になった場合は親は四十二歳の大厄のため、親子の不幸を招かないために子供を捨てるという形式をとったのである。
縁を一時切って人生の大厄を払うために”四十二歳の二歳児”といわれてこんな行事が行われたのではないだろうか。
今は遠い昔の思い出となったが、「前厄」「本厄」「後厄」と厄除けが今でも行われているのも昔の名残りかも知れない。
昭和ひとケタの不幸が多いといわれるこのごろであるが、昔から働き盛りの年ごろの不幸はあったものと思われる。
参考 海老名むかしばなし第6集「拾い親」
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