【歴史資料収蔵館】デジタル展示 双六編(大正~昭和初期)

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ページ番号1016372  更新日 令和6年4月1日 印刷 

大正~昭和初期の双六

 海老名市立歴史資料収蔵館で収蔵する清水登美子家資料の中には、江戸時代から昭和初期にかけての双六類が22点あります。ここではその一部をご紹介します。

なお、現物については歴史資料収蔵館(海老名市河原口二丁目27番3号)にてご覧いただけます。

 

大正少年双六
大正少年双六
大正4(1915)年 清水登美子家文書 海老名市教育委員会蔵
 博文館から刊行された『少年世界』の附録です。年賀式を振り出し(スタート)として、一日一善や、健脚、運動会などのコマがあり、奉祝を上り(ゴール)とした学校生活を学ぶ双六です。特に一日一善はさいころの目の半分が上りとなり、一番の道徳であることが理解できます。また、義勇少年や飛行機制作のコマもあり、男児向けの内容になっています。子どもたちはこの双六を通じて、模範的な学校生活を楽しみながら学習しました。本資料は当時、大人が子どもに何を求めていたのかを示すものでもあり、興味深いものです。
日本名所双六
日本名所双六 
大正7(1918)年 清水登美子家資料 海老名市教育委員会蔵
 実業之日本社刊行『少女の友』新年号の附録です。伊勢神宮を振り出し(スタート)として、奈良の春日や京都の嵐山、下野の日光などを経て、東京の二重橋を上り(ゴール)とした日本各地の名所を学ぶ双六です。当時の日本は明治28(1895)年に台湾を割譲し、明治43(1910)年に韓国を併合していたため、一大観光地であった朝鮮の金剛山や台湾の新高山(玉山)が日本の名所として掲載されています。日本の植民地支配を視覚的に理解させるものといえます。この双六には特製スタンプが名所ごとにあり、旅行気分を味わうことかできました。
立志成功双六
立志成功双六 
昭和7(1932)年 清水登美子家文書 海老名市教育委員会蔵
 昭和7(1932)年、小学館から刊行された『小学六年生新年号』の附録です。のちに陸軍大臣となった南次郎を振り出し(スタート)として、豊臣秀吉や実業家 渋沢栄一などになり、上り(ゴール)の政治家 伊藤博文を目指す、人生ゲームのような双六です。イタリアの政治家 ムッソリーニのコマもあり、戦前ならではの内容となっています。子どもたちは「立志成功」を目指すよう教えられ、双六は国民教化の手段にもなりました。この新年号の附録には「書初めの手本」もついており、正月の子どもの遊びと学習を兼ねていました。
孝子 仏 佐吉双六
孝子 仏 佐吉双六
昭和11(1936)年 清水登美子家文書 海老名市教育委員会蔵
 この双六は、江戸時代の偉人「永田佐吉」を後世に伝えるため、仏佐吉遺績保存会により作成されました。佐吉は元禄14(1701)年、現在の岐阜県羽島市竹鼻町に生まれました。11歳で名古屋の紙問屋に奉公に出る一方、勉学にも励みました。帰郷後は、餅屋や綿屋で成功を収め、私財を投じて道標や石橋を建設しました。継母に親孝行し、大仏を建立し、当時仏佐吉と呼ばれました。偉人として江戸時代の書籍『近世畸人伝』や明治時代の尋常小学校の教科書にも掲載され、勤勉で親孝行の手本として顕彰された人物です。

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教育部 教育総務課 文化財係
〒243-0422 神奈川県海老名市中新田377
電話番号 046-235-4925
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