【歴史資料収蔵館】デジタル展示 双六編(大正~昭和初期)
ページ番号1016372 更新日 令和6年5月22日 印刷
大正~昭和初期の双六
海老名市立歴史資料収蔵館で所蔵する資料より、大正から昭和初期の双六類をご紹介します。これらの資料は海老名市内の旧家で所蔵されていたものです。
なお、より高精細なデジタル画像は歴史資料収蔵館(海老名市河原口二丁目27番3号)のタブレット端末でご覧いただけます。
博文館刊行『女学世界』の附録。平福百穂(ひらふくひゃくすい)画。吉凶、婚姻、子宝などのコマごとにさいころを振って占うものです。
実業之日本社刊行『日本少年』新年の附録。川端龍子画。最下段にコマごとの小説の筋書きが記載されています。
同文館刊行『初等教育研究雑誌小学校』新年号の附録。北沢楽天画。教員に就任後、左遷や校長などを経て一家和楽で上る、風刺漫画風の双六です。
実業之日本社刊行『少女の友』大正四年新年号の附録。鶴田吾郎画。各コマが「う」から始まり「ない」で終わる文章で書かれています。
博文館刊行『少年世界』の附録。巖谷小波(いわやさざなみ)編集。年賀式を振り出し(スタート)として、一日一善や、健脚、運動会などのコマがあり、奉祝を上り(ゴール)とした学校生活を学ぶ双六です。特に一日一善はさいころの目の半分が上りとなり、一番の道徳であることが理解できます。また、義勇少年や飛行機制作のコマもあり、男児向けの内容になっています。子どもたちはこの双六を通じて、模範的な学校生活を楽しみながら学習しました。本資料は当時、大人が子どもに何を求めていたかを示すものでもあり、興味深いものです。
実業之日本社刊行『日本少年』新年の附録。川端龍子画。ゴルフやクリケットなど西洋から導入されたスポーツも見られます。
実業之日本社刊行『少女の友』大正七年新年号の附録。川端龍子画。伊勢神宮を振り出しとして、奈良の春日や京都の嵐山、下野の日光などを経て、東京の二重橋を上りとした日本各地の名所を学ぶ双六です。当時の日本は、明治28(1895)年に清国から台湾の割譲を受け、明治43(1910)年に韓国を併合していたため、一大観光地であった朝鮮の金剛山や台湾の新高山(玉山)が日本の名所として掲載されています。日本の植民地支配を視覚的に理解させるものといえます。この双六には特製スタンプが名所ごとにあり、旅行気分を味わうことができました。
幼女の友社刊行『幼女の友』新年号の附録。ユリ、ツバキなどの花を巡ってウメで上る双六です。
実業之日本社刊行『少女の友』大正九年新年号の附録。四隅のA(エース)をスタートとし、トランプゲームのツーテンジャックにならい、2と10とJ(ジャック)の札に止まると早く上れるルールの双六です。
小学館刊行『小学六年生』新年号の附録。のちに陸軍大臣となった南次郎を振り出しとして、豊臣秀吉や実業家渋沢栄一などになり、上りの政治家伊藤博文を目指す、人生ゲームのような双六です。イタリアの政治家ムッソリーニのコマもあり、戦前ならではの内容となっています。子どもたちは「立志成功」を目指すよう教えられ、双六は国民教化の手段にもなりました。この新年号の附録には「書初めの手本」もついており、正月の子どもの遊びと学習を兼ねていました。
この双六は、江戸時代の偉人「永田佐吉」を後世に伝えるため、仏佐吉遺績保存会により作成されました。佐吉は元禄14(1701)年、現在の岐阜県羽島市竹鼻町に生まれました。11歳で名古屋の紙問屋に奉公に出る一方、勉学にも励みました。帰郷後は餅屋や綿屋で成功を収め、資材を投じて道標や石橋を建設しました。継母に親孝行し、大仏を建立し、当時仏佐吉と呼ばれました。偉人として江戸時代の書籍『近世畸人伝』や明治時代の尋常小学校の教科書にも掲載され、勤勉で親孝行の手本として顕彰された人物です。
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