繭玉づくりとだんご焼き

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ページ番号1000740  更新日 平成30年2月28日 印刷 

子供のころの楽しい正月行事に繭玉つくりとだんご焼きがあった。だんご焼きは正規には「左義長」とか「どんど焼き」とか言われるが、海老名市周辺では俗に「セイトバレー」と呼び、前日の十三日にどこの家でもだんご作りをした。
セイトバレー用のだんごは「親玉」と言って、子供の握りこぶしほどの大きさのものを三個作り、それを枝分かれしている木の先に刺し、準備しておく。
このほか、普通の丸いだんご、繭玉、里芋、鶏といろいろ型取って作る。祖母や母と一緒にまるで粘土細工でもするように造形の楽しさを味わったものである。それを蒸し上げて木鉢に移し、よい艶が出るようにとうちわで手早くあおぐ。
歳神様用のだんごを刺す木は小枝がたくさんあるナラの木を用いた。カシの枝をあしらったこともある。床柱の前へ挽き臼をすえてそこの穴へこの木の根本を突き刺して倒れないようにし、まるで花が咲いたように枝々へだんご、ミカンを刺し、色とりどりの菓子の小判もつり下げて見事に飾り立てた。神棚や仏壇、荒神様、稲荷様などへも七個ずつ小枝に刺して供え、繭や農作物の豊作を祈った。
翌十四日、子供たちが学校から帰って来るとおとなたちは道祖神の前に納めてあったお飾りや門松をピラミッド型に積み立ててそれに火をつける。火勢が強くなるにつれ、これを囲んでいた人の輪も広がる。書き初めが火炎に乗って燃えながら高く上がるほど習字の手が上がると言って喜んだ。
そろそろ火も下火になると、さあだんご焼きが始まる。大きいだんご、小さいだんご、木の柄も長短様々でにぎやかなものだ。焼き上がると、だんごを交換しあって食べた。これを食べるとカゼをひかないとか虫歯にならないなどと言い、必ず一個は家へ持って帰り家中で少しずつ分け合って食べた。
門松用の焼け残りの杭を常口(民家の敷地への入口)に立てて置くと泥棒よけや防火になるという迷信もあった。
わんぱく盛りの子供たちは残り火を火種に田のあぜを燃やして回り、スリルを楽しんだ。この日だけはそうした火遊びをしてもだれもとがめ立てする者はいず、まったく子供天国万歳の一時であった。
これはいつのころからの行事であったか、古代以来、宮廷の行事として儀礼的に行われた火祭がいつしか一般的にも伝承したのだと言われているが、正確にいつからと言うことはできないようである。

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