海老名歴史年表 古代編
ページ番号1000650 更新日 令和6年7月26日 印刷
時代 | 海老名市のできごと | おもなできごと |
---|---|---|
旧石器 |
BC28,000年頃 目久尻川流域に人が住むようになる(柏ケ谷長ヲサ遺跡など) |
狩猟と採集の生活 |
縄文 |
BC10,000~5,000年頃 落とし穴や炉穴が作られる(かしわ台駅前遺跡、杉久保遺跡など) |
狩猟、漁撈、採集の生活 |
弥生 | BC100年頃 稲作が伝わり、相模川沿いの低地にムラができる(河原口坊中遺跡、中野桜野遺跡など) AD100年頃 上今泉、国分、本郷に溝で囲まれたムラ(環濠集落)ができる(国分尼寺北方遺跡、本郷遺跡など) |
水稲耕作が広がる |
古墳 | 小銅鐸で祭祀が行われる(本郷遺跡、河原口坊中遺跡) 3~4C頃 相模川中流域で古墳の築造が始まる(秋葉山古墳群) 4~5C頃 上浜田古墳群が造られる(瓢箪塚古墳、上浜田2号墳など) 6~7C頃 横穴墓が造られる(上今泉横穴墓群など) |
巨大な前方後円墳が造られる |
飛鳥 | 7C後半頃 海老名を含む相模川左岸流域が高倉(高座)郡となる 675年 高倉郡で三つ子が生まれたことが、相模国より報告される(『日本書紀』相模国の初見) |
593年 聖徳太子摂政となる |
奈良 | 海老名耕地に条里制が敷かれる 相模国分寺・国分尼寺が建立される 大型掘立柱建物群ができる(本郷遺跡、大谷向原遺跡) |
710年 平城京に遷都 741年 国分寺建立の詔 |
平安 | 819年 相模国分寺が火災にあう(『類聚国史』) 873年 漢河寺を相模国分尼寺とする(『日本三代実録』) 878年 地震により相模国分寺の仏像など破損(『日本三代実録』) 881年 漢河寺から尼寺を旧地に戻す許可が出る(『日本三代実録』) 12C初 相模守源有兼と横山党の流れをくむ一族が河原口に住み、海老名氏を名乗る |
794年 平安京に遷都 1069年 荘園整理令 |
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