住職の窮地を救った霊鳥
ページ番号1000802 更新日 平成30年2月28日 印刷
昔、河原口のあるお寺に囲碁の好きな住職がいた。お寺の坊さんが碁を打ったからといって話題になるほどのことでもないし、それだけのことなら昔話として残らなかっただろうが、この住職は賭け碁が好きで、それが高じて大変なことになってしまったのである。
大人の遊びで勝ち負けを争うものは碁ばかりでなく、花札、将棋などもよく賭けごとに使われたが、金を賭ければ博奕として取り締まりの対象となるけれども、その他のものについては役人たちも干渉しなかった。
この住職は誰と碁を打つときも必ず品物を賭けた。初めは手元の茶器とか印籠、硯、数珠など身の回りのものに限られていたが、だんだん枠が広がって、ついには寺の仏具、仏像から庭石、庭木などまで賭けるようになってしまった。
寺の品物が突然姿を消したり、見なれないものが出現したりするので周りの者も気にしていたが、それが住職の賭け碁によるものと判明したので、寺の世話人も黙っている訳にはいかず、賭け碁だけはしないようにと強く申し入れた。
しかし、何事も深みへ入ってしまうと、ちょっとやそっとの意見、忠告などで止められるものではない。ある日、どんな行きがかりからか、寺の山門を賭けてしまった。この山門は切妻の平屋造りで、瓦葺ではあるが枡組も簡単で決して立派と言えるものではなかったが、それでも寺の大事な建造物で住職の私物ではない。
このときの碁の相手は近くの寺の住職だった。二人の腕はとんとんなので三局続けて負けるとは思っていなかったのかもしれないが、勝負ごとはそのときのつきやはずみで意外な結果になることが珍しくない。
初めは楽な気持ちで石を置いていた住職も、二局続けて負けて、いよいよ三局めになったらあせってきた。相手の住職は以前、冗談半分で賭けた雪見灯籠を取られてしまったことがあった。まさか本当に持っていくとは思っていなかったのに、約束は約束だと言って、人足を連れてきて運び出してしまったので心中穏やかでなく、いつか取り戻そうと思っていた矢先なので、このときとばかり打ち込んで慎重に急所急所へ石を置いていった。
やがて住職は三局目も不利になって、どこへ打っても苦しくなるばかり。いよいよ敗色は鮮明になってきた。賭け碁に負けて山門を失ったとあっては寺に居られなくなるが、灯籠のこともあるので今更御破算にしてくれとは言えない。もう打つ手はない。残るは隅の一角だけである。
隅碁には「五合ます」という起死回生の妙手があるということだが、あせり迷い、混乱した頭に浮かぶはずはない。何物かに祈らないではいられない気持ちで、盤面から目をそらせてじっと空間を見つめていると、何か黒い影が睫の間から飛び出し、それが鳥の姿になって、ちょうど正面に見える山門の屋根に向かって行った。
山門の屋根にはたくさんの鳥が羽根を休めていたが、それが盤面に並べた石のような色分けで並んでいるではないか。
碁打ちもある時期には格天井から狐格子まで枡目のものは何でも碁盤の目に見え、白と黒はみんな碁石に思えることがあるそうだが、このとき住職は屋根瓦が碁盤に見え、鳥が碁石にみえた。しかも不思議なことに軒先の一角に集まっている鳥の位置が、盤上の石と嘘のように一致していた。
睫の間から飛び立ったように思えた鳥は山門の上を旋回してその一角に降りたが、その位置は生きるとも思えない平凡な「大桂馬」だが、それが残された唯一の活路だった。
局面は一変した。相手はしばらく唸っていたが、住職は虹のような息を長々と吐いて額の汗を拭いた。碁石を握っていたその手からは湯気がたっていた。
このことがあってから住職は一切の勝負ごとを絶ち、五戒を守って修業を積んだので生き仏のように尊敬されるようになったが、その後、寺や住職に変わったことが起きる前には、必ず不思議な鳥が現れて霊示した、ということである。
生まれながらに仏性をそなえていたというか、この住職は子供のときから生き物を憐れみ、また食べ物を大切にした。ひと粒の米でも洗い流すようなことをせず、必ず笊(ざる)に取って野鳥の餌にしたので、その功徳が霊鳥となって窮地を救ったのだと言い伝えられている。
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