目久尻川の名の由来

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ページ番号1000800  更新日 平成30年2月28日 印刷 

目久尻川は、座間市栗原の小池と芹沢という二カ所から流れ出て、初めは「小池川」と呼ばれていますが、海老名に入ると「目久尻川」と名を変えます。目久尻川の由来については、河童の話が伝えられています。
国分を流れる目久尻川に、いつのころからか河童が住みつきました。ところが、年月がたつにつれて仲間が増えて、食べ物が足りなくなってしまいました。腹ぺこでは思うように泳ぐこともできません。河童たちは仕方なく、夜になると川の近くの稲や野菜を、こっそり盗むようになりました。初めは遠慮をしながら盗み食いをしていましたが、なれてくると、やがて手当たり次第田畑を荒らし続けました。
被害が少ないうちは、人々もあまり気にしませんでしたが、一晩にごっそり食べられてしまうようになると頭を悩まし、田畑を荒らす犯人が河童たちだと知ると、怒りに怒って河童退治を行うことにしました。
人々は手に鎌などを持って、目久尻川の上流と下流に分かれ、バチャ、バチャと川狩りを行い、次々と河童を生け捕りにしていきました。そして、大きな体で最後まで暴れまわった河童の親分も、やっと取り押さえることができました。
いよいよ処刑ということになり、まず、親分を川のほとりの砂の上に引きすえて、子分の河童たちが見つめる中、憎さのあまり「思い知れっ!」と刃物を河童の目に突き刺し、ぐるりとひとえぐりして、その大きな目玉をくじり取ってしまいました。ほかの河童もそれぞれ罰せられて、河童退治は終わりました。
河童の目をくじり取ったということから、目久尻川の名が生まれたのだ、と言われていますが、これはあくまで昔話の世界です。
以前の目久尻川の流れには、U字形をした場所や直角になっている所があって、大水のときは水の勢いが、出っ張っている川岸の土をえぐり取って流してしまったに違いありません。このように、目にあまるほど川岸を削り取るので、「目久尻川」の名がついた、というのが、本当の理由だったのではないでしょうか。

(こどもえびなむかしばなし第4集より)

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