なんじゃもんじゃの雪女郎

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ページ番号1000797  更新日 平成30年2月28日 印刷 

旅の男はなんじゃもんじゃの木の洞に這入ると、そのままでしばらく外の様子を伺っていたが、雪があまり激しいのでここで一夜を明かす覚悟を決めたのだろう。荷物を降ろすと、近くの苫の下から薪を運び入れて焚火を始めた。
このなんじゃもんじゃという木は、もと八王子街道沿いに二本あったそうだが、一本は大風で倒れたとか、今は跡形もないが、残りだという一本は大きく足を踏んばったように裾を広げ、その裾の所は広い洞穴になって、今でも雨宿りなどには格好の場所である。
昔、親子連れの旅芸人がここで雨宿りをし、濡れた着物を乾かすため焚火をして内部を焦がし、その後何人かの無宿者が焚火をしながら酒盛りをして更に内部を焼いた、と言い伝えられており、現在も内部に炭化した部分がはっきり残っている。
一時樹勢が衰えたので、そうしたことのないよう、村人たちはこの近くへ燃やすものを置かないようにしたが、そのため吹雪の晩など、ここで旅人が凍死することが度々あったので、村役人が、炎が高く上らず火持ちのよい堅木の太い薪を何束か近くへ苫を被せて置くようにした。
一晩燃やすだけの量しか置かないようにしたので、その後は中を焦がすこともなく、凍えて死ぬ旅人もなくなったが、この恩馬ケ原は意外に雪が積もるため、この洞穴を利用する旅人は多かった。
旅の男は八王子の生糸商人で、しばしばこの道を往来しており、この日もゆっくり藤沢をたって座間で宿をとる予定だったが、降り始めは雨まじりで大したこともなかった雪が、石川原、菖蒲沢原と海辺を遠ざかるにつれて激しくなり、用田の宿についたときはだいぶ積もり始めていた。
座間までは大丈夫だろうと思ったのが見込み違いで、国分までも無理かと思われる大雪となってしまったのである。旅なれているので、荷物の中から毛皮の胴着を出して裏返しに羽織ると、脱いだ草鞋と足袋を焚火で乾かし始めた。
薪を上手に組み合わせて燃やし、荷物の中から湯煎鍋のような筒形の湯沸かしを取り出して、これに雪を入れて湯を沸かそうとすると人影を感じた。目を向けると、若い女が渦巻く雪を背にして立っている。「ご同宿をお願いします」というので、「いいですよ」と腰が掛けられるように薪束を用意してやると、女は被っていた一反風呂敷のように大きい白い布をとったが、その顔は気味悪いほど美しく、背中にぞっとするものを感じた。
女はにっこり笑ってつつましく腰を下ろしたが、急に氷穴にいるような寒さが体を包んだ。湯を沸かすのをやめて焚火のふところをつっ突いて炎をかき立てていると、女が腰をずらせて身を寄せてきた。
寒さが一段と加わったので、さらに薪を何本も束ねようとすると、「そんなにお焚きにならなくてもいいでしょう」と、おさえたその手の冷たいこと。一瞬に体温を吸い取られるように感じたので、腰掛けている薪束を横にずらせて女から離れるようにした。
すると、女は後を追うように、これも薪束を移動して近づくので、その度に少しずつ距離を広げて行ったが、こんなことを繰り返しているうちに二人は焚火の回りを何回も回ってしまった。その間、火力を落とさないように絶えず新しい薪を重ねて、早く夜が明けるよう心に念じた。
やがて女はつと立って出て行ったが、振り返ったその目は焚火にきらきらと光っていた。吹雪はいつの間にやらすっかり止んで、雪原の彼方、吉岡原の空はすっかり明るくなっていた。
筒形の銅の鍋で湯を沸かし、蕎麦粉を入れてかき回し、そばがきを作って食べ、生き返ったような気持ちで外を見ると、すでに朝日が差し始めていたが、出て行った女の足跡はどこにもなかった。
午後になってようやく人がちらほら通り始めたので、空馬の馬子を呼び止めて国分の辻まで送ってもらったが、激しい熱で宿に着くとそのまま寝込んでしまった。四、五日して回復した男は主人に、「なんじゃもんじゃの洞で会った女は雪女郎に間違いない」と言った。
こうした縁で、この生糸商人はその後も度々国分のこの宿に泊まったが、その度に雪女郎の話を繰り返し、「八王子の野猿峠やそのほかの峠には、雪女が出て旅人の命を狙うと古くから言い伝えられているが、まさか相模の真ん中でそれに出会うなどとは夢にも思わなかった」と必ずつけ加えた。

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