ひょっとこ踊り

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ページ番号1000842  更新日 平成30年2月28日 印刷 

家運や人の運勢はよく火にたとえられ、その隆盛を火の勢いと言い衰微は火が消えたようだという。また、「先祖の火を絶やすな」とは、親から子へ代々言い継がれる言葉だが、遠い昔から家長はこの火を絶やさず子孫に伝えることが責務だったので、常に炉辺に座ってこれを守った。
この火を守る家長は、火男と呼ばれて一家を代表する権威ある存在で、後につづまって「ひょっとこ」と呼ばれるようになったが、このひょっとこ、つまり火男が常に炉辺で火を守っていれば家運の衰えることはないというので、ひょっとこは家運の隆盛と子孫の繁栄を意味するようになり、目出度いものとしてお祝いの席には必ず登場するようになった。
それが次第に俗化して現在のひょっとこになったもので、口をすぼめて尖らせているのは真剣に火を吹く顔を表現し、ゆがんでいるのは、灰が目に入らぬように片目を特に細めるからで、豆絞りの頬冠りは火の粉を防ぐために頭にのせた布を庶民的に表現したものである。
ひょっとこは、本来真剣に火を守る家長火男の顔であって、けっして滑稽を強調したものでもなければ漫画的なものでもなかった。
人間は火が無ければ生活できないので、日常生活も火を中心とし、炉を囲む場合はその正面が家長の座る場所と定められ、そこには他の者は座らなかったが、江戸時代になってからの町人の生活でも、長火鉢の正面は横座と呼んで主人の座る場所だった。
戦後は生活が洋風化して、家長の座る場所もまちまちのようだが、農村の旧家などでは今も家長の座る揚所を「横座」と呼ぶ。
職人の社会では、親方の座る場所が横座で、火を扱う鍛冶屋は鞴(ふいご)の傍が横座である。刀匠は、刀を打つ時ここに座って鞴を操作し、火の色で鉄の焼け具合を判断して金敷にのせるが、それは多年の修練による高度の技術と感によるものであるから、銘には万鈞(ばんきん)の価値がこめられているのである。
この横座に座るたのもしい火男が次第に俗化されて、おかめと共に招福の象徴として扱われるようになり、「笑う門には福来る」という笑いを誘うため滑稽化されたが、おかめは健康で聡明な心のやさしい女性を意味しており、たくさんの福徳を持っているのでお多福なのである。
一家の主婦もそのようにありたいという願いが、酉の市の熊手につけられたもので、幸福と財宝をかき集めるという意味の縁起ものなのである。
新年を迎えるに当たって、女房のおかめが真心をこめて火男の労をねぎらい、火男もまた女房の協力に感謝して共に踊ったのが「ひょっとこ踊り」の始まりであるから、天の岩戸で舞っ天細女命(あまのうずめのみこと)をおかめとする説は誤りである。
この話は大正時代、毎年秋の村祭りに里神楽を上演した神楽師の座元から聞いたものだが、伝承芸能などにもそれぞれ深いいわれがあることが理解できた。大正時代までは市内の各地域に、氏神を中心にひょっとこ踊りが伝承されており、お祭りには毎年その独特の囃子を聞くことができたが今は全く絶えてしまった。しかし、木彫りの面をまだ保存しているところもある。
戦後古物商が、外人観光客の土産にするため、ひょっとこ踊りの面を買い漁ったが、明治の折もそうだったように、混乱期には価値観が変わるので、古来からの芸術品が無造作に扱われて海外へ流出することが多い。時代の波に翻弄されて、伝統や民族固有の価値あるものを軽んずるのは日本民族の欠点というべきだろう。
里神楽でひょっとこ踊りの時、おかめが袂からだして見物席へ投げるちり紙を拾うと幸せになるといって、子供たちがわけもわからず争って拾ったが、座元はこれを福の神だと教えてくれた。拭くの紙では落語の落ちみたいなので笑いが止まらなかったが、縁起ものにはこじつけや当て字が多いもので、婚約の折取りかわす結納品の目録に「昆布を子産婦」「鯣(するめ)を寿留女」と書き「柳樽という祝いごとに使う柄のついた朱塗りの樽を家内喜多留」と書くのはそのよい例だろう。
ひょっとこ踊りでは忘れられない人がいた。その人は、お面をつけずに素顔の頬に真赤に紅を刷き、口を尖らせて片目を半分閉じたままで踊ったが、お面をつけたのとは違った迫力と現実的な面白さがあった。
長時間尖らせた口を曲げ、片目を半分閉じてゆがめた顔で踊り続けるので、よく顔の筋肉が疲れないものだと感心して、「顔がくたびれませんか」と聞いたら、「面白いことをいう子供だ、目やあごが疲れるとはいうが、顔がくたびれるというのは聞いたことがない」と笑っていたが、その後道などで行き合うと必ず口を尖らせて片目をつむり、顔を歪ませてひょっとこの顔をして見せた。
顔がくたびれるという言葉が青年たちの間で使われるようになったのはそれからだったようだが、もしかしたら当時七歳だった筆者の創作語だったのかも知れない。
他村から大谷の大きな農家に住み込み下男として働いていた人だったので、姓名も覚えていないがひょっとこ踊りというと今でもその人の顔を思い出す。

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