自然と歴史の
   秋葉山古墳群

秋葉山
弥生時代~古墳時代にかけての墳墓

◎古墳群の周辺
 秋葉山古墳群は海老名市の北東の上今泉というところにあります。周辺は宅地化されていますが、古墳が点在しているところは、木々が多く繁茂し自然が良好に残っているところでもあります。
 自然が多く残っていることから日陰が多く夏でも大変涼しいところです。また、秋は紅葉、春は桜などの名所でもあり、歴史と自然が調和したところといえます。





◎古墳群の概要
~東日本でも群を抜く資料価値~
 秋葉山古墳群の特徴は、何と言っても弥生時代~古墳時代にかけて築造された点にあります。このような事例:一古墳群における変遷については、関東地方、ひいては東日本ではほとんど類例がありません。
 
▽弥生墳丘の特色を示す3、4号墳。
 古墳群内で最も古い様相を示すものは、3、4号墳です。
 一般に古墳時代の「古墳」と区別して、弥生時代の「墳丘墓」と呼ばれるものです。
 第4号墳 古墳群の中で最も北側に位置します。調査の結果、墳形は前方後方形で、土を盛り上げて造った墳丘が3号墳よりも低いこと、周溝が全周していない可能性があること、出土遺物から3世紀の後半に造られたことが分かりました。
 墳丘が低いことや、周溝が一周しない可能性があることなどから、より弥生時代の「墳丘墓」的要素が強いといえます。

 第3号墳 古墳群の中間にあり最も西側にあります。墳形は前方後円形ですが、整った形をしていません。また、4号墳に比べ墳丘が高いことが分かりました。造られた年代も出土遺物から4号墳と同じくらいと考えられますが、形状などからより「古墳」的な要素が強くなった墳丘墓といえます。

▽整った古墳への変遷過程が分かる1、2号墳。
 第2号墳 3号墳のすぐ東側に位置します。墳形は前方後円形ですが、後円部に比べて前方部の大きさが短いのが特徴です。全国的にも珍しい埴輪も模したと考えられる円筒形土製品や水銀朱が付着した片口鉢などの土器が出土しました。築造年代は、出土土器から3世紀末~4世紀の初頭と考えられます。

 第1号墳 2号墳のすぐ東側に位置します。墳形は前方後円形で、2号墳に比べ、前方部が長いのが特徴です。くびれ部西側から土器や鉄鏃が出土し、これらから4世紀代に造られたことが分かりました。

▽前方後円墳の終焉
 第5号墳 4号墳の南側に位置します。これまでの古墳の系譜と異なり、規模も縮小化され、形も方形です。遺物は周溝から土器が多く出土しました。また、年代はこれらより、4世紀中頃と考えられます。
 秋葉山古墳群では1号墳と同じ、またはやや時代が下ると前方後円墳が造られなくなってしまいます。調査からでは確かなことは分かりませんが、この秋葉山古墳群を造った人々の中で、大きな出来事があったといえます。


◎秋葉山古墳群FQA
 なぜ秋葉山というの? 
 古くから第2号墳は秋葉山と呼ばれていました。これは古墳の上に秋葉社という火災予防の神様をまつった祠があったからだとされています。
 弥生時代と古墳時代のちがいは?
 弥生時代と古墳時代のちがいは、「古墳」を造るか否かもちがいに集約されるといっても過言ではありません。実際弥生式土器と古墳時代の土師器では、製作方法などは同じ系譜にあるといえます。
 弥生時代までは、旧石器時代(先土器時代)や縄文時代のように、生活に必要な土器をもって画期としていますが、弥生時代と古墳時代では土器と古墳というように時期の区切りが異なる要素からなっています。
 これは、古墳という政治的要素の強いお墓の出現と当時の情勢が大きく絡んでおり、日本古代史上の

 墳丘墓と古墳のちがいは?
 どちらもある程度の高さをもったマウンドをもったお墓のことをいいますが、一般的に墳丘墓は古墳に比べマウンドが低く、規模も小さいものが主流で、形も方形のものなどが多い傾向があります。一方古墳は高い墳丘をもつ大規模なもので、副葬品や供えられた土器等から、より強大な首長の墓と考えられます。
 秋葉山古墳群の被葬者は?
 海老名の最高地点である秋葉山の地に、これほど巨大な墳丘墓や古墳を造ることができた王は、強大な権力をもってムラムラを治めていたと考えられます。
 しかし、秋葉山古墳群の周辺にはこれらを築いたであろう集団が暮らしていたムラが発見されていません。ここに葬られていたひとの詳しいことは不明なのです。 

ダウンロード

お問い合わせ

教育委員会 教育部 教育総務課 文化財係
Tel (直通)046-235-4925文化財係/233-4028温故館(郷土資料館)/232-3611歴史資料収蔵館

>>お問い合わせフォーム

添付資料を見るためにはビューワソフトが必要な場合があります。詳しくはビューワ一覧をご覧ください。(別ウィンドウで開きます。)