史跡相模国分寺・尼寺跡探訪

史跡相模国分寺跡
~天平の香りただよう伽藍跡~

 史跡相模国分寺跡は、海老名駅の東側約500mの台地上にあります。周囲は開発によって、宅地化されていますが、跡地は歴史公園として整備、公開され市民をはじめ来訪者の憩いの場となっています。
 また、一部伽藍の基壇や平面形が復元され、当時の様子をうかがい知ることができます。
 尼寺跡は、国分寺の北側約500mのところにあります。尼寺の周囲も宅地が迫っていますが、金堂跡周辺は地域の広場として地元をはじめ、市民の方々に利用されています。


国分寺模型

◎国分寺について◎
 国分寺跡は、大正10年に国の史跡に指定されました。
 昭和40年代に入ると発掘調査が行われ、以下のようなことが分かりました。
  ・伽 藍  配 置  国分寺の主要伽藍(建物)配置は、奈良県にある法隆寺と同じ、東側に金堂・西側に塔、北側中心部に講堂を配し周囲を中門・回廊で囲む「法隆寺式」という配置をとります。全国の国分寺では大 変珍しい配置で数例しか確認されていません。
 ・塔       跡  国分寺のシンボルともいえるのが塔跡です。ここ相模の場合は、高さ1mほどの基壇上に建てられています。
 塔跡は現在整備され、当時の基壇の様子が復元されています。
 塔は古代建築学から復元すると七重で高さが65mもあったとされます。
 ・ 金   堂   跡  高さ1mほどの基壇上に、16個の礎石が現存しています。跡地の北よりには土壇があり、須弥壇の遺構と考えられます。
 ・ 講   堂   跡  高さ1mほどの基壇上に、12個の礎石が現存しています。
 ・中門・回廊跡   中門・回廊とも簡単な盛土の基壇と考えら得ますが、削平されてしまっており詳細は不明です。
 現在は、規模のみ平面表示しています。
 ・ 僧   坊   跡  東西に長く広がりをもつもので、発掘調査では8部屋確認されました。
 現在は、平面形が復元されています。

○いつ造られたのか?
 全国に国分寺が造られる経緯となったのは、天平13(741)年の聖武天皇の詔によります。
 相模国分寺でもこの詔を受けて建立されたといえ、発掘調査の所見から、8世紀中頃には創建されていたと考えられます。

○なぜ海老名の地なのか?
 国分寺創建当時、相模国の国府は今の平塚市にあったと考えられます。通常国分寺は国府の近くに建てられますが、相模国では当初から国府と離れたところに建てられたと考えられます。これは、関東地方の寺院建築に深く関わった壬生氏が高座郡周辺を拠点にしていたためという見方もあります。


尼寺
◎尼寺跡について◎
 尼寺跡は、平成9年に国の史跡に指定されました。指定に関する確認調査を数回行い以下のようなことが分かっています。

・伽藍配置  中央に金堂を配し、講堂・中門・回路で囲む一般的な「国分寺式」と呼ばれるものです。
・金堂跡   高さ1mほどの基壇上に礎石が16個残っていました。全国的にみても残りがよく、その規模や築造過程が分かります。
・講堂跡   基壇や礎石はなく、詳細は不明です。

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教育委員会 教育部 教育総務課 文化財係
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