褌をしめた狐

 国分の上今泉境に星谷という聚落がある。箒を逆さに立てたような欅(けやき)の屋敷木がなければ、そこに人家があるのさえわからないような街道から離れた丘褶(ひだ)の小さな集まりで、戸数の少ないせいもあって、なにかにつけてよくまとまり、長い間一家族のような和やかさであった。
 しばらくぶりで雨が降ったので、女衆たちが集まって女日待ち(女たちの寄合い)をしたときのことである。宴たけなわの折、女の小間物行商人が訪れた。浅黄の手っ甲脚絆に草鞋ばき、棒縞の着物を短く端折って、背には小間物をつめた重ね行李を紺の一反風呂敷で背負い、その上に大きな桐油合羽を掛けている。
 顎紐を解き菅笠を外して土間に入った行商の女は、「まあ、今日はおかみさんがた沢山お集まりで・・・。小間物の旅商いなんですよ。見るも道楽聞くも法楽、見るだけでも見て下さいな」と、荷を張り出しの板の間に下ろした。
 小間物は「細物」の意味で、主に婦人の化粧品、髪飾り、その他のこまごましたもののことだが、中には印伝の財布や煙草入れなどの高級品もあった。女は行李の中の品を床いっぱいに並べて言葉巧みにすすめた。
 いつの時代でも女たちはこうしたものには関心が強い。飲み食いをそっちのけにして、あれがいい、これがいいのと騒いでいたが、自分たちの髷(まげ)の根締め、櫛、すき櫛、たぼ止め元結いから娘の簪(かんざし)、丈長など宿番のかみさんに立て替えてもらって取り引きがひととうり済むと、女同士の気安さからか、「仲間に入りませんか」と声をかけた。世間ずれしているのだろう。女は二つ返事で、「御馳走になりましょう」と草鞋を脱いで上がり込んでしまった。また、ひとしきり賑やかさが盛り返された。
 商いが済んで気がゆるんだのだろう。女は盛んに濁り酒を飲み且つ肴をつまんでいたが、酔いがまわるにつれてだんだんしどけなく座り方まで崩れてきて、とうとう横座りからあぐらになった。
 ひざを崩して横座りまではまあいいとしても、普通の家庭で育った女は人前であぐらをかくような不作法は絶対にしなかった時代である。眉も剃らず歯も染めていないからまだ未婚だろうし、潰し島田に結っているので年よりは老けて見えるとしても、二十四か五であろう。
 それが男のような座り方をしたのだからみんなびっくりしたが、正面にいた若いかみさんは顔色を変えた。それは女が白光りのするような晒木綿の褌をしめているのをはっきり見てしまったからである。まず脳裏をかすめたのは、女装した男に違いない、ということだった。
 こんな人間と同席していたら後が面倒だと思ったので、そっと隣に座っているかみさんに耳打ちして席を立ってしまった。
 女装した旅芸人や行商人の話はしばしば耳にもし、また話題にもしたが、みんなひとごとで直接関係のないことばかりだった。しかし、実際に同席したことが噂にでもなれば家庭騒動のもとになる。この前国分の宿に旅役者と駆け落ちした農家のかみさんがいて、話題の乏しい農村のこととて長い間話のたねになっていたが、ようやくその話が下火になったばかりである。
 時折、旅役者の一座が国分の宿で興業することがあったが、常設の小屋がないのでいつも丸太小屋での興業で、雨でも降ったらみじめなものだった。ことに長雨にでもあえば収入の道は絶え、青息吐息雨の晴れるのを待つよりほかに道はなかったが、そんなとき座員たちは食いつなぎに近在を回って小間物や端切れなどの行商をしたものであるが、中には分別の足りない小娘を騙して食い物にしたり、金持ちの後家を探してころがり込んだりする悪質な連中もいて、しばしば物議をかもしたり話題になった。
 女正月は無礼講といっても、いずれもれっきとした家庭の主婦であり亭主持ちであるから風紀問題には気をつかった。もし変な噂でも立てられたり巻き添えでも食ったらとんでもないことになるので、一人立ち二人消え、まだ時間があるというのにみんな座を立ってしまった。一人残った宿番のかみさんは、物置で藁仕事をしている亭主に仔細を告げた。
 亭主は「女になりすまして女日待ちの仲間に入るとは不埒な奴」と、そばにあった樫の棒を持ってかみさんと一緒に母屋へ戻った。満腹したのだろう、女は股もあらわな立て膝を両手で抱えてうつらうつらと居眠りをしている。
 「舐めるなこの食わせ者め!」と亭主はその背を樫の棒で力いっぱい殴りつけた。
 「ぎゃあっ!」 と叫んで飛び上がった女は、空中でとんぼ返りをうつと大きな狐になって雨の中へ飛び出して姿を消してしまった。
 -「公方様のころのことだよ」と上今泉の母方の祖母から度々聞かされた狐の話である。

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