霊が呼ぶ話

 子供のころ、真鯨(字)に鶴さんという物知りの老人がいた。生粋の土地っ子だから、隣の杉久保の出来事などもよく知っていていろいろ面白い話を聞かせてくれたが、三度に一度は身の毛もよだつような恐ろしい崇りや因縁話だった。
 老人たちの昔話はおしなべて妖変怪奇なものが多かったので、子供心に、怖がらせようとわざと怪談を聞かせるのではないかと思ったが、自分が年をとってみると印象に残っている話には怪談が多い。従ってもしも昔話をするとすれば、きっと怪談が多くなることだろう。
 鶴吉老人迫真の怪談には拳を握り体をこわばらせて聞き入ったが、死者の霊が手を差しのべて招くさまや、死神に誘われてふらふらとついて行く様子を手振り身振りで話すので、そんなときは思わず手を引っ込めたり体を縮めたりした。
 この土地では死者の霊が呼ぶことを「あとを引く」というが、近くの潰れ屋敷に古井戸があって、危ないというので厳重に柵で囲ってあったが、気味悪い古井戸だったのでよく話題になった。
 ある家で秋蚕の盛りに総出でその近くへ桑摘みに行ったら、娘が周りばかり気にしてそわそわしているので母親がそれとなく注意していると、やがて辺りの様子を伺って肩の桑摘み籠を下ろし、憑き物でもしたように歩きだした。
 すぐに後をつけると例の古井戸に近づき、柵をくぐって飛び込もうとした。母親はしっかりと娘を抱きとめて大声で、「誰か来てっ!」と叫んだ。とんできた父親が、「どうしたんだっ?」と聞くよりも早く、「井戸へ飛び込もうとするんです」と声を震わせた。
 「馬鹿な真似をするな!」父親に立て続けに殴られた娘は夢から醒めたように我にかえり、「さっきから、ひっきりなしに井戸車の音がして、誰かが呼んでいるのでそこへ行こうと思った」と答えた。
 この古井戸は昔、この家の一人娘が結納の後で破縁になったのを苦にして入水自殺をしたという因縁の井戸で、その後、一家はほかへ移ってしまったというが、それからは年ごろの娘が大した理由もないのによく飛び込んで死んだというので、嫁入り前の娘を持つ親たちはみんな気にしていたそうである。
 関東大地震で回りがひどく崩れたので近くの人たちが話し合い、供養して埋めてしまったが、その少し前、この古井戸で自殺しようと思ったという娘が、どうした関係か祖父に何か相談にきたことがあったが、そのとき、「どうもその近くに行くと井戸車の音が聞こえ、誰かが呼ぶような気がして落ちつかなくなる」と話したそうである。その娘は間もなく土地を離れて都会へお嫁にいったが、幸せに暮らしていると聞いた。きっと因縁が切れたのだろう。
 また、昔、ある大地主は枝振りの良い門かぶりの松が自慢だったそうだが、天候不順で米がとれなかった年の暮れ、年貢の納められない小作人を呼びつけて、「耕作地を取り上げる」と脅した。気の弱い小作人はその晩帰りにこの松で首を吊ってしまったが、その後この松で首を吊る者が度々出て、とうとう使用人までが首を吊ったので地主も自慢の松を伐ってしまった。その後この地主もすっかり家運が衰えて、昔の俤はなくなってしまったという。
 水量の多かったころの相模川には水難事故や投身自殺の多い場所があったが、こうした事実について鶴吉老人は、「天与の寿命を自ら絶たねばならぬ口惜しさや、不慮の事故で命を落とす場合の「生への執着」が妄念となって、その地に留まって消えない場合は必ずあとを引く」と言ったが、恨みに恨んでこのままでは死んでも死にきれないというような怨念は、宙に迷い悪鬼になって報復するのだという。子供のときに聞いた説得力のある話は脳裏から払拭できず、今でも異次元の存在を信じている。
 それかあらぬか現在でも事故のあった踏切などでは度々事故が起きるし、飛び降り自殺があった都内の高層アパートなどもあとを引いているように思われる。
 熱海の錦ケ浦も飛び込み自殺の名所などと言われているが、霊能師が浮かばれない霊を呼んでテレビで放映したことがあった。画面に出てくる現象には納得できる場面もあった。
 変死者の出た家を知らずに買って住んだが、気味悪い変わった出来事が多いというので、ほかへ行ってしまった人も身近にいる。こうした出来事は鶴吉老人の言葉を借りれば、いずれも死霊があとを引く、ということになるのだろう。

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