弁天様のお使い

 戦後の日本が経済成長をする以前までは、どこの家もワラぶき屋根であった。まして納屋や灰屋(フロやカマドから出た灰を肥料にするために貯蔵した小屋)は寿命が続く限りそのままで屋根替えなどはしなかった。
 それで、こうした付属建物には必ずと言ってよいほど青大将がその棟の主としてネズミをエサに住みついていたのであった。
 五月ごろともなると、屋根地の太竹の上を青い濡れ色の肌を長々と伸ばして、はっているのを見かけたり、養蚕具のえびら(蚕をのせるかごの一種)やこも(ワラで荒く編んだムシロ)の束などから、ひらひらした抜けがらを発見したりしたものだった。
 養蚕の上簇(十分に成長した蚕にマユを作らせるようにするための作業)は毎年物置きの二階で行ったが、ある時、父が蚕にまぶし(成熟した蚕を入れマユを作らせるためのワラで作ったもの)を掛けていると、頭の上にまるでひもでも垂れ下がっているように、つるんだ青大将がうごめいているではないか。ひき(成熟した蚕)を運んでいた私はハッと息を飲んだが、父は首をすくめながら忙しく手を動かしていた。
 気味の悪いことではあったが、青大将は極めておとなしい動物で、どこの家でも格別気にもしないでそっとしておいたのであった。
 大谷の清水に弁天様がある。ある人が、ヘビは弁天様のお使いだというのでひとつ試してみようと、ざるを祠の前に置き、「どうか弁天様、家へお招きしたいのでこのざるの中へ入ってください。お願いします」と言ったら、ほんとうにするすると青大将が入って納まってしまった。
 これを見てその人は怖くなってしまって、今度は「どうぞお一人でお先に行ってください」と言うと、その姿はすぐかき消えてしまったそうだ。こんなことを私の母はまことしやかに話してくれた。
 この弁天様は、青々とした異人芹と、こんこんとわき出る清水に囲まれた小さな石の祠であったが、戦後周囲が埋め立てられてしまって、清水は涸れてしまい、祠は草に埋もれている。
 今はワラぶき屋根にも、青大将にもとんとお目にかかれないご時世になったが、何だか味気ないような気がしてならない。 

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