土竜騒動

 鎌倉北条末期のことだという。菜種梅雨に続いて来る日も来る日も雨ばかりで、長流相模川には濁流が渦巻きあふれ、雨瀬もなく降り続く豪雨に、海老名耕地は遂に満々たる湖水のようになってしまった。
 川沿いの村落が次々に水没していったある日、激しい雨の中を網代笠だけで蓑もつけない一人の旅僧が台地の村を回って、川沿いの人たちを救ってくれるようにと頼み歩いていた。
 横しぶきの中に立ったその姿は、滝壷の飛曝に姿を現した竜神のようだった。その姿に身振いするような霊気を感じた村長が、
 「あなたはどういうお方ですか」と尋ねると、
 「風雨雷神を従え、天文気象を司る諏訪明神である。相次ぐ天変地変は、天理をわきまえぬ横暴な為政者と、世の秩序を守らぬ世俗が人道を無視したため、四季の運行が狂い、五雨十雨(注)の律が崩れてしまったためである。田畑は荒れて五穀は実らず、やがては飢えたる流民が天下にあふれて、この世は生きながらの地獄となるであろう。難民を救うため天意に従って、仮りに僧形となって飛錫(ひしゃく)しているのである」。
 この言葉を天の声と聞いた台地の人々は、水没地帯の被災者を受け入れることを互いに誓い合った。着のみ着のままの難民は、陸続として台地へ避難したが、このとき動物たちもみんな台地へ台地へと逃れたが、目に見えない力に誘導されているように、更に安全な場所へ移動していった。
 しかし、土竜(もぐら)だけは例外だった。隔絶された地中の生活になれて共存共生の意識がなく、独善的だったので、台地へたどり着くと穴を見つけ次第に、見境もなく勝手に潜り込んでしまった。そのため、台地に先住していた土竜の生活に大混乱が起きた。
 先祖代々の土地と、営々と築いてきた住居を突然闖入してきたよそ者に勝手に占拠されたのだから、さぞ腹が立ったことだろう。
 昔この地には、鼻白土竜と鼻黒土竜がいて、台地と川沿いの低地に別れて住んでいたという。もともと同じ仲間で、鼻先の毛が黒いか白いかだけの違いであるのに、いつからともなく、鼻白土竜は自分たちが優れていると自惚れて、台地の鼻黒土竜を馬鹿にするようになったが、それがこうした行動になったのだろう。
 鼻黒たちは何度も移動するよう説得したが、鼻白土竜は説得も誘導も無視して居座り続けたので、鼻黒土竜たちは自分たちの生活を守るため鼻白追放を決議して穴より追い出し、続いてたどりつく鼻白共々ことごとく濁流へ追い落としてしまった。
 このとき以来、鼻白土竜は全く姿を消してしまったと伝えられているが、独善を避けて秩序を守っていれば絶滅の非運は免れたのであろう。
 「この土竜騒動は単なる伝説ではなく、鼻白土竜は特権階級をさしたもので、奥深い教訓と理解すべきだろう」とは、この話を度々してくれた古老が、何時も最後に結んだ言葉だったが、法と秩序を守ることが大切であることを説いたものだったに違いない。
 昔の人たちは、後の世のことを考えて、子孫のために興味深い教訓を数多く残しているが、土竜騒動もその一つであろう。何気なく聞かされ、うっかり聞き流している古い話の中にも、味わうべき教訓が秘められていることを悟るべきである。
 土竜騒動はありふれた昔話や寓話としてでなく、身近な現実問題として厳しく受け止め深刻に考えなければならない話ではなかろうか。
 昔話がただ面白いというだけの興味本位のものばかりだったら、子供だましの作りごとの誇りを免れないだろうし、やがては伝承の意義はなくなり、語り伝える価値を失ってしまうだろう。昔話本来の使命は、事実を語り伝えるとともに、その時代の世の姿を冷厳に見据え、さらにその時代背景にも思いを巡らし、先人の意図教訓も伝えるべきものだろう。
 最近は社会生活の本質をわきまえず、集団生活に適応できない人間が増えつつあると言われている。自己中心の生活ばかりが先行して、周囲のことを考えないという風潮の中で生活している人たちの中には、鼻白土竜的人間が多いような気がしてならないが、生活環境にも土竜騒動の起こる素地は至るところに存在する。
 天変地変の折、交通、輸送、通信をはじめエネルギー、食糧、水の問題を含めてパニックが起きないという保証はない。東京直下型の地震や、南関東大地震七十年周期説が話題になっている昨今である。人間社会に土竜騒動を起こさないためにも、平生、物心共に用意しておく必要があろう。
 平和で豊かな時代なればこそ、なおさら「治にいて乱を忘れず」でありたいものである。明治以来、年寄り子供のたわ言として抹殺され消滅してしまった話がたくさんあるが、この土竜掻動の伝説は身近な問題として再考してみたいものである。 

(注)五雨十雨・・雨は願いどおりに程よく降ってくれるものではないが、正しい政治が行われて世の中がよく治まっていると、必ず五日目十日目に沃霖慈雨が田畑を潤し、五穀が豊かに実るとされていた。

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