長寿綱の尼

 今からおよそ千二百年も昔のことである。聖武天皇の詔勅によって建立された国分寺の尼寺に綱の尼という年老いた尼僧がみ仏に仕えていた。
 この尼僧の身分はというと時の帝の第三皇子の姫君であった。こうした高貴な皇族の家に生まれたのだが、不幸なことに、いつくしみ育ててくれた母君に死に別れ、その悲しみの涙も乾かない翌年に父にもあの世に旅立たれてしまったのであった。
 それからというものは雨の日も風の日も最愛のありし日の父母のことを思わぬ日とて一日もなかった。
 この悲歎を断ち切るにはどこか遠い所へ行き、心機一転、もんもんとした生活から離れるよりほか道はないと考えた。幸いかつて父母が国守に着任していた相模の国の国分寺、すなわち法華滅罪之寺といわれた尼寺に入ろうとはるばる奈良の都から東の国へ下って来て年を経たというわけである。
 尼の容姿は少しも衰えず、吉祥天女のようで、朝夕多くの尼さんを従えてみ仏によく仕え、日に何回となく法華経を唱えていたが、その気高い姿とともにその音声も朗々として麗しく、人々の心をぬくめうるおしてくれるのであった。
 また法華経の教義にもくわしく、毎日その二十品のうち一品ずつを講義し、その功徳を説き明かし読誦を怠らなかった。この教えを聴くとだれしも菩提心(仏道に入り、さとりを求める心)を起こして善根(慈善の行い)を積むようになった。
 この老尼にもやがて命が終わろうとする時が来た。老尼は床から起き上がってで弟子たちに言った。「私は年来、法華経を唱えて過ごしてきましたが、そのお陰か身に重い病も受けず、心苦しむ悩みごと一つだにありませんでした。このたび法華経の功徳を得て今から七日の後、日ごろ願っていたみ仏のもとに参ります。私の死後も皆、法華経を唱え、ますます道心を厚くしてください」と。
 そしていよいよその七日目がやって来た。空に妙なる音楽が流れ始めたかと思うと寺のまわりに紫の雲がたなびき始め、それがさらに七色に変化して行った。
 これまで床の中でかすかに法華経を唱えておられた老尼は、この不思議な現象が消えるとともに安らかに大往生されたのであった。
 これがほんとうの極楽往生だろうと一同は悲しみの中に声高らかに法華経を唱和するのであった。
 老尼の行年は百余歳とも百四十八歳ともいわれている。

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