人魂を追いかけた和尚さん

 大正七年、横須賀水道が開通して間もないころ、祖父に連れられて上郷の富畑にある親類の法事へ行った時、読経の済んだあとで、和尚さんが人魂を追いかけたという世にも不思議な話をした。
 お盆の棚経を済ませて帰途についたのは、まだ宵のうちだった。雲足の早い晩で、急に明るくなったり薄暗くなったりする月明りの田んぼ道を夜風に吹かれながら戻ってくると、地面すれすれに”ふわりふわり”と近づいてくる人魂に出会った。
 話では聞いたことがあるが、実際に見たのは初めてだったので、足早に近づくと、人魂は驚いたように急に向きを変えて引き返したので、その後を追うと上下に大きく揺れながら逃げるように小畔へ入って行った。その細い小畔を伝って追って行くと、突き当たりの用水堀を水面すれすれに越していった。川下の橋を渡って、なおも後を追うと、代々檀徒総代を務める旧家の塀を越えて中へ入ってしまった。
 せっかく追ってきたのだから、その行き先を見届けようと裏へ回ったらちょうど、通用門が開いていたので屋敷の中まで入り込んだ。人魂は、うろたえたように家の周りを一回りして、隠居所とおぼしき離れの高窓から中へ消えてしまった。
 玄関へ回って戸をたたくと、使用人が提灯をもって出てきたが、袈裟衣をつけた菩提寺の住職が立っているので、びっくりして、しどろもどろに「長く臥せっておられたご隠居様が今、亡くなられたので主人に代って枕経のお願いに伺うところです」という。
 人声を聞いて出てきた主人も「どうして、お知りになったのですか」と驚いたが、事情も聞かずに廊下伝いに離れの隠居所へ案内した。
 ところが死んだはずの老人がぱっちり目を開けて、まじまじと顔を見つめるではないか。あっけにとられてぼう然としてしまったが、主人も事の意外さにしばらく口が利けなかった。
 大きく瞬きをした老人が「あなたは先程、私を追いかけてきた鬼でしょう」と言ったので家族の者があわてて、「鬼だなんて、とんでもない。お寺の和尚さんですよ」と言い聞かせたが、老人はかぶりを振って、「夕食の後、旅に出ようと思ってぶらぶら村外れまで行くと、向こうから鬼が来て行く手に立ちふさがった。引き返すとそのあとを追ってくるので、田んぼの小畔へ逃げこんだら鬼も追ってきた。突き当たりは川だったが、橋がないので尻をまくって歩いて渡ると、鬼は川下の橋を渡ってしつこく追ってくるので、屋敷の塀を乗り越えて逃げ込んだ。鬼が屋敷の中まで入ってきたので、高窓の格子を外して家の中へ逃げ込み、『ああ、よかった』と思ったら気がついた」と、長く病床にあった老人とは思われない力強さで無意識の中での出来事を一気に話した。
 家族の者は、一度息の絶えた人間がよみがえったので、驚きながらも喜んだが、人魂を追いかけた身には″夢が現か、現が夢か″の心境だった。よみがえった老人の話と、人魂を追いかけた道筋や高窓から逃げ込んだ様子などが、あまりに一致しているので顎が、がくがくしたが後になって高窓の格子が外されていたと聞いてからは、当分の間つきものでもしたように落ち着かなかった。
 聞いていた人達は、話が終わると「ふうーっ」と、ため息をついてしばらくは、皆黙りこくっていたが、ややあって和尚さんが、「これは、先代の住職から聞いた話をそのままお伝えしたのです」と言ったので、席が急にざわつきだした。法事に集まった一座の人達は、みんなこの和尚さんの体験談だとばかり思って聞いていたのだろう。
 その時、子供心にも、なんだ和尚さん自身の話ではなかったのか、とちょっと気抜けがしたが、それでもやっぱり気味悪い話だった。
 さて、人魂とは一体なんだろう。そんなものは存在しないようにも思われるが実際に見たという人もいる。死の直前に肉体を離れた霊魂が身近な人に会いに行くのだともいうし、成仏できない魂魄(こんぱく)が宙に迷うのだともいう。
 長命で達者だった祖父は、親類の法事や盆の棚詣りには何時も必ず連れていってくれたが、そうした席には普段付き合いのない、そのまた先の親類の人達も集まるので、地元や近所では耳にすることのできない珍しい話や、変わった話をたくさん聞くことができた。
 幼かった筆者を祖父が殊更に連れて歩いたのは、今にして思えば数多い親類をよく覚えさせると共にその見聞を広めさせるためだったのだろう。

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