新平さんの河童芋

 大谷の小字清水前地区から杉久保、上河内へかけての長池は、宝永の頃までは幅が広くて、台地に添って今里との間に大きな沼のようになっていた。その後、富士山の噴火によって降り積もった海老名耕地の砂が、度々の洪水でここに集積して、大きな沼地を浅くしたり幅を狭くしたりしたが、葦や真菰が生い茂り、大の男でも一人では行けないような気味悪い場所が方々にあった。
 ここでは、大きい鮒がよく釣れたので子供たちが集まってここで釣りをしたが、大物がかかると当たりが激しくて、力の無い子供の中には時折引き込まれて溺れるものも出た。底無しという深い所があったので、そこに住んでいる河童が引き込むと言われていたが、溺れた子供は言い伝えどおりみんな肛門が開いて血の気が無くなっていたので、河童が肛門から血を吸いとるのだと誰もが信じていた。
 度々事故があるので、杉久保、今里、大谷、上河内の人達の間に河童調伏の相談がまとまって、近在の法印に頼んで河童封じの護摩を焚くことになった。焼けるような土用のある日、炎天下に護摩壇を設けて、法印達が汗と護摩木の灰にまみれて祈祷していると急に空が暗くなって、激しいかんだちに護摩の火はあっという間に叩き消されてしまったが、こういう現象は験(しるし)があった場合に起きるとされていたので、一同は驚き恐れながらも祈願成就を喜んだ。
 その年の師走もおしせまったある日、行き暮れた旅僧が今里の八幡宮の軒下に踞(うずくま)って狂い舞う雪を避けていた。これを見かけた近くの新平という百姓が「囲炉裏があるからここよりましでしょう。あばら屋ですが、よろしかったらお宿り下さい」と自分の家へ案内して、手打ちの煮込みうどんでもてなした。旅僧は、「おかげさまで生き返った心地です」と四方山話の末、炉端に敷いた煎餅蒲団にくるまってやすんだが、真夜中に誰かがゆり起こすので目を開けると、うす暗い行灯のかげにやせ衰えた一匹の河童が両手をつかえていた。
 そして「私は多年、長池に住んでいる河童の頭でございますが、調伏のため動きがとれなくなりました。長池の河童は、眷族悉く衰滅を待つばかりでした。大川(相模川)の仲間が、徳の高い方がお通りになるのでおすがりしろと知らせてくれましたので、お待ち致しておりました。どうか、呪縛を解いて長池の河童をお助けください」と哀願した。
 旅僧は、直ちに天に祈って呪縛を解き「今後は絶対に子供には手を出さないように、また人間に迷惑を掛けるようなことはしないように」と諭した。河童の頭は非常に喜んで、「必ずお諭しを守ります」と誓い、お礼にと長池に自生しているという水芋を差し出し、効能をくわしく説明して姿を消した。
 翌朝、旅僧は河童がおいていった水芋をお世話になったお礼にと新平に渡し、効能や使用法について河童の言ったとおり詳しく説明して立ち去った。
 新平は、その種子芋を宅地裏の蓮田の隅へ植えておいたが、本当に効能があるかどうか半信半疑でいた。
 その後、畑仕事をしていた新平は、鍬の先が石に当たって外れた拍子に足の甲を削いでしまった。ひどい傷なので早速焼酎で洗って手当てをしたが、傷口の汚れが取り切れなかったのだろう痛みが激しく、化膿して足首から先が「まくわ瓜」のように腫れ上がり、ひどい発熱でその晩は苦しみとおしたが、夜明け近くになってとろとろとまどろむと、夢とも現ともなく年老いた河童が現われ「高僧にお届けしておいた水芋をなぜ使用しないのですか。御出家様のおっしゃった言葉にも、私の申し上げることにも嘘いつわりはございません。すぐに蓮田の水芋をおろして傷口に塗りなさい。長池のこういう所にたくさんありますので、またお届けします」と言って消え去った。
 新平は夜の明けるのを待って、蓮田の水芋を掘らせ、よく洗ってすりおろし、布にのばして足の甲に貼るとぴたりと痛みが止まって熱も下がった。手まめに貼り替え塗り替えているうちに忽ち癒えて元通りに仕事ができるようになった。
 その後、河童が教えてくれた場所へ行ってみたら水芋がたくさん自生していたので、その根を掘りとってまた蓮田に植えておいた。この話を聞いた人達がわれもわれもと貰いにきたが、外傷にはてきめんに効果があり、大きな傷でもすりおろして布にのばして貼ると直ちに出血と痛みが止まったが、折れた骨も添え木をしておくと接着した。
 この水芋は″新平さんの河童芋″と呼んで評判になり、遠方から求めにくる人も多かったが、長池のどこにあるのか知る人は無く、また底なしを恐れて採りに行く者も無かった。分けてやっても他所の土地では育たず、結局新平の家伝のものとなってしまった。
 この河童芋は、明治の頃まで長池に自生していたというがその場所を知っていた者は無かった。
 この河童芋について今里の人から慈姑(くわい)の変種だったらしいと聞いたことがあったが、その人もそのいわれについては知っていなかった。今里に水芋という地名があったそうだが、旧有馬地区はその後明治になって万葉流の地名に変更されたためその場所ははっきりしない。

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