助平さんとどうしょぞいダム

 今ではほとんど見かけなくなったが、昔はいたる所に水がたまって出来た、池とも沼ともつかぬ"ダム"と呼ばれるものがあった。そのダムにまつわる話をみなさんに紹介する。
 明治の初めのころの話である。ある日、男やもめの下今泉の平助さんは、水堂の観音様(現在の龍峰寺)へお参りに行く途中、ダムに通りかかった。
 その時「どうしょうぞい(どうしたらいいだろう)、どうしょうぞい」という声が聞こえてきた。声のする方向を見ると、美しい女の人がダムの深みにはまって叫んでいた。
 女の人の着物は水に濡れ、もがくうちに肌もあらわになった。それを平助さんは鼻の下を長くして、しばらく女の人に見とれていた。しかし、それでは女の人がおぼれてしまうので、平助さんは締めていた六尺ふんどしを解いて投げてやり、助けて家に連れ戻った。それから着物を脱がしてふろに入れてやり、亡妻の着物を貸してやって、家に送り届けた。
 この事件があってから村人は平助さんのことを"助平"さんと呼ぶようになった。そしてこの事件があったダムを「どうしょうぞいダム」と呼ぶようになった。
 この話は私が子供のころ祖父から聞かされた話である。女の人は明治四年(1871)の廃藩置県のときに江戸から流れて来て国分の尼寺あたりに住んでいた旗本の奥さんか何かで、エビすくいに来ての出来事であろう。
 「どうしょうぞいダム」があった場所はどこかというと、小字が反町(ソレマチ、地元ではソリマチと呼ぶ)という所で、比較的低地であったため、下今泉地区全体に降った雨が集まって大きな水たまりが出来た所である。年中水が涸れたことがなく、ヌカエビという小さなエビがたくさんいたので、一名「エビのダム」とも呼ばれていた。
 ダムの大きさは一畝(せ=一アール)ぐらいで、下今泉から国分の尼寺へ抜ける道が通っていたので橋が架けられていた。私も子供のころ、よくこのダムでエビとりをし、そのエビをゆでて食べたものであった。
 しかし、このダムも道も、昭和の初めの耕地整理のため埋めたてられてしまった。その後、企業の進出で、現在は跡形もない。

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