狐の万灯

 横須賀水道が大谷台地の中央を横断したので、坊原の丘に大きな切り通しができ、地形がすっかり変わってしまったが、もとこの切り通しを上がりつめた辺りの畑の中に腰高の塚があって、まわりの穴には狐が住んでいると言われていた。
 麦の穂が出るころになると、屋敷の裏口から出て続く野道へよく茅花(つばな)を抜きに行ったが、この辺りには狐薊(あざみ)が多かった。狐塚の周りにあるので狐薊と呼ぶのかと思っていたが、花の姿が薊に似ていて騙されやすいからその名がついたのだという。
 昔、飢饉の折はその若葉を食用にしたそうだが、農村の老人たちは何の話でもしまいには飢饉と食糧に結びつけることが多いので、何時もまたかと思うことが度々あったが、戦中戦後の食糧不足の折、都会の人たちがたんぽぽ、いたどり、すかんぽ、野蒜(のびる)の根まで掘り取っていくのを見てなるほどと思った。
 この狐塚の上や周りには、″相模ごろた″という枕の形をした大小の石や、焼けて赤くなった瓦の破片などがたくさん集められていたので、昔この辺りに大きな建物でもあったのではないかとよく話題になったそうだが、水道工事の折、切り通しの土と共に、みんなトロッコで田んぼの埋め立てに運んでしまったので、今は何も残っていない。
 この狐塚は、「題目塚」とも呼んだそうだが、面白い狐の話が伝えられている。
 近くにある日蓮宗の寺では、毎年十月の十五日にお会式をすることになっていたので、当日は檀家のかみさんたちが持ち寄った手製の蒟蒻や野菜で煮しめを作ったり、むすびを握ったりで庫裡は市が立ったような賑やかさだった。
 一般家庭の夕食が終わるころになると団扇太鼓の音が聞こえて、檀家の題目講中や交(つ)き合い寺の万灯が次々に集まり、境内に入ってからもそれぞれひとしきり太鼓を叩いてお題目を唱え、打ち込まれた杭に万灯の竿を荒縄でしっかりと結わえてから、一同は煮しめや漬物を肴に酒を汲み交わし、おしのぎの握り飯を頬張った。おしのぎというのは、正規の膳につかない臨時の食事のことで、″一時しのぎの腹ふさげ″というこの土地独特の言葉である。
 紙の花で飾った長い竹ひごを傘のように四方に垂れた万灯の灯が次々に消えるころになると、山寺の夜は静寂にかえって冷え込みも厳しくなるのだったが、そんなある年のお会式の晩のことだった。世話人が働きずめの女衆たちの労をねぎらって、後片付けを始めたら、どこからともなく団扇太鼓の音が聞こえてきた。
 何組もの万灯の奉納で、耳の底にこびりついている太鼓の音のそら耳かと疑いながらもしばらく様子を見ていたが、夜風の具合で近くなったり遠くなったりはするが、まぎれもない太鼓の音とお題目の唱和である。
 予定の万灯はすべて集まっていたので、はてどこからの奉納かと首をひねっているうちにも太鼓の音はだんだん近づいてきた。
 予定になくても万灯を奉納する信徒は、一通りの接待をしなければならないので、後片付けを始めた女衆たちは色めき立ち、あわてて残り物の煮しめや揚げ物を盛りつけ直し、沢庵を切ったりして接待の用意をした。
 先の万灯の灯が落ちて暗くなった境内は、飛び入り万灯で再び明るくなったが、夜も更けて寒さが厳しいからだろう、この一団は深い頬冠りをしたままだった。焚き火も落ちたあとなので寒いだろうと、世話人が一同を本堂へ誘ったが誰一人虹梁の下へは進まず、庫裡の土間に拡げられた筵(むしろ)の上の揚げ物やむすびに忙しく手を動かしていたが、先達の老人が「さあ引き上げよう」と合図をすると一斉に腰を上げた。
 この寺では、万灯を奉納する講中には住職の書いた「鬚題目」の旗一と流れを授けることになっていたので、急いで障子紙を継ぎ合わせて七字の題目をしたためて渡したが、この時も誰一人頬冠を取る者はいなかった。
 世話人が、よろしかったら残った物をお持ち帰りくださいというと、精進揚げも煮しめもむすびもかき集めるように持ち去ったが、後で世話人たちがいくら考えても、それがどこの講中でどこからきたのか分からなかった。
 太鼓の音は西の方から聞こえ始めたが、坊坂以外には通る道はなく、その坊坂はぬかるみ坂で、晴天続きでもいつもじめじめしているのに、不思議なことにこの講中の人たちの履いていた草鞋も草履も全く濡れても汚れてもいなかった。
 その翌日、狐塚に鬚題目の旗が立っていたので話題になったが、それからは毎年のお会式に、一番最後に万灯を奉納する講中があり、その都度住職が授けた題目の旗が必ずこの塚に立てられていたので、何時からともなくこの塚を題目塚と呼ぶようになったのだという。
 この寺が無住の時代が永く続いてからは、この講中の万灯奉納はなくなったということである。

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