恐いもの

 ″恐いもの″というと誰もが妖怪変化、化け物を連想することと思うが、現実にはもっと恐いものがたくさんある。また、恐いものと言っても時代によって変遷があり、地域差もある。西日本の九州・四国では、台風が恐いそうだが越後では豪雪が恐いという。
 昔、江戸では地震と火事と雷が恐いものの代表とされていたが、地震はいつどこで起きるか予想ができないし、絶対に安全という逃げ場もないので恐いのは当然だが、また大きな地震には必ず火災が伴うもので、大正十二年九月一日の関東大震災では避難した場所で火に包まれて焼死した人が多かったが、本所被服廠あとの空地では三万八千人の避難者そっくりそのまま焼死してしまった。この時海老名でも中新田、下今泉、大谷にも焼死者が出ているが、いずれも倒れた家屋の下敷になって逃げることができなかったのである。
 木造家屋の密集していた江戸では、火事は地震と同様に恐いものだったが、雷はその正体がわからなかったので、太鼓を背負た雷神を想像し、雷鳴を雷神の打ち鳴らす太鼓のとどろきと思って神鳴りとして恐れたのも理解できる。
 しかし、よく言う″地震雷火事親父″のおやじにはひっかかる。いくら頑固な父親でも、命にかかわる程の恐い存在ではないから、これは言葉のあやで、父親の厳しさを茶化したもののように一般には考えられているようだが実はここでいうおやじは目明かしの陰語だったのである。
 戦前の庶民にとって恐かったのは警察官で、″お巡りさんが来るぞ″というと泣く子も黙ったが、戦時中の警察官も極めて恐い存在だった。厳しい食管制度の下での食糧不足は深刻だったからその不足を補うため、高い闇値で買ったり衣料などと交換したりしてやっと手に入れた米を、駅に張り込んでいる巡査に没収された人はたくさんいたが、泣き寝入りするよりほかはなかったので、買い出しの人達は、みんなその姿に恟々とした。また「特高」と呼んだ特別高等警察は鬼より恐いといわれ、刑事巡査と共に″でか″と呼んだが、これは明治大正時代の刑事は角袖の和服で聞き込みなどしたので、″かくそで″の首尾二音を反対に呼んで隠語にしたのだという。
 江戸時代、目明かしは、傍で手引きをし、捕吏の手先となって働いたので″おかっぴき″と呼んだが、町人たちにとっては極めて恐い存在で、親切ごかしに酒手をねだったり、事ありげな態度で袖下を要求する目明かしもいて、意に添わないと、でっち上げで罪科もない者を処刑したり、反対に賄賂によって目こぼししたりしたというから、この岡っ引きににらまれれば罪状は勝手に作文されてしまった。
 無論、銭形平次のような目明かしもいただろうが、町人たちはいつも腰縄の本を握られているようなものだったから、この十手を笠に着る目明かしを非常に恐れた。従って、江戸で恐いものは″地震雷火事目明かし″だったが、あからさまに言えないのでおやじの陰語で呼んだのだった。それが陰語の意味が忘れられて言葉だけが一人歩きしてしまったものだろう。古老の話によると海老名で恐いものは、「地震大水火事雷」だったそうである。
 子供の頃から虫で恐いのは、蝮百足に蜘蛛毛虫と教えられた。蝮は、虫ではないが蛇は長虫とも言うしその字体が虫偏で、名前もまむしだから虫の仲間に入れたのだろう。かまれると百日間毒が消えないというので、百日患いといって恐がられたが、百足も恐い虫で子供はマッチの棒位の小百足にかまれても痛さに足ずりして泣き叫ぶ。大百足だったら大の男でも、七転八倒する。蜘蛛にも猛毒のものがいて、体質によっては神経障害を起こすことがある。毛虫は見ただけで総毛立つという人がいるが命に別条はないので、ショック死することのある雀蜂のほうがはるかに恐い。
 旅で恐いのは、「風邪に生水恙虫」とよく聞かされたが、講談のきまり文句に「ふとした風邪がもとでどっと床につき…」とあるように、風邪は万病のもとで異郷の生水による下痢と共に死亡率が高く、行路病者はほとんど風邪か下痢による衰弱死だった。また、昔の旅人は小さな川などは歩いて渡ったので恙虫の難に会うことが多かった。
 恙虫は、毛穴から進入して急性伝染病を媒介する恐ろしい虫で、この恙虫病にかかると大抵は高熱で死亡した。平穏な生活や道中の無事を「恙なく」と表現するのは、恙虫の難も無くという意味なのである。
 江戸時代になると旅で恐いのは、すり雲助に胡麻の蠅、枕さがしに土地やくざと内容も変わり数も増えた。
 非現実的だが、農村の純朴な人達の間には今もって人の怨みが恐いものとされている。怨み死した人の怨念が代々祟っているという話はどこの土地にもあるが、これを死霊と言い、そうした家は決して何代も栄えるということはないと信じられている。そこで他人を苦しめてつくった身代は、長続きしないと言われるのだろう。
 現在生きている人の怨みや呪いを生き霊と言い、念波となって遠く離れている人にまで影響し、その生死まで左右すると信じられているが、その家族の一番弱いものに強くはたらくという。これが弱り目に崇り目ということなのだろう。
 怨念は恐ろしいもので、生き霊死霊共にその根元を立たなければ永久に消えることなく子々孫々まで崇り続けると聞いて身震いしたが、その消滅はざんげと功徳を積む以外にはないとは、よく昔ばなしをしてくれた古老から度々聞いた言葉である。

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