吉祥樹の話

 古くから宅地内には、必ず植えておくべきだと言われている木があるがこれを「吉祥樹」といい、それぞれの土地や個々の家によって多少の違いはあるが、いずれも日常生活の充足や健康のため、あるいは家運の隆盛や子孫の幸福を願ったもので、身近でどこにでもあるのは「南天」だろう。
 「難を転じて福を呼ぶ」というので縁起物とされているが、赤飯の上にのせるのは、防腐と毒消しの効果があることを経験的に知った先人が伝えたものだろう。その実は煎じて咳止めに使う。幹を削って箸にするのは、子供が箸をかむ癖を薬効に利用するためで、その成分が五臓を整え六腑を養うとされているので病人の箸にもよく用いられた。長寿だったある老人は、南天の箸が無病長命の秘訣だと、親指のように太い箸を自慢にしていた。赤い実は鑑賞的価値もあり、花材の乏しい冬期には珍重されたので、万人に親しまれる吉祥樹といえるだろう。
 「橙」と「譲葉」は正月飾りには欠かせないものだが、橙は冬は黄色に熟すがそのままにしておくと、翌年には再び緑色になって新しい実が生るまで残っているし、譲葉は若葉が伸びてから古い葉が落ちるので、親が成長した子供にあとを譲るのにたとえて、共に目出度い木の代表とされている。
 「蜜柑」の仲間はみんな吉祥樹とされているが「橘」は日本の特産種で、京都御所紫宸殿の左近の桜とともに右近の橘として知られ、三月のひな飾りとしてもなじみ深いが、暖地向きのもので寒冷の地には育ちにくいのだろう。大谷には一本しかなかった。顔をしかめる程、すっぱかった記憶がある。
 同じ仲間でも「柚子」は寒さに強く、よく実をつけるが、成木になるまでに年月がかかるので、大きい柚子の木は旧家の証といわれた。「桃栗三年柿八年、梨の阿呆が十六年」などというがそのあとに続けて、「柚子のおとぼけ二十五年」と歌われるのは、なかなか実が生らないからである。
 「梅」は家運を象徴するといい、よく生る家は上り身代で病人が出ないというのは、家族が健康でよく働けば梅の手入れも十分にできるということを逆説的にいったもので、同時に梅の効用を強調したものだろう。
 梅は、裸で木登りができる程、枝を間引けというのはよく手入れしろということなのである。同じ仲間の「杏」や「李」も吉祥樹で、大正の頃まではどこの家にもあったが、杏は仙人が食べたものだというので仙果ともいい、その種子の中にある苦い肉質は薬用にする。
 「柿」の古木は柚子と共に家格を示すもので、旧家の屋敷内には必ず大きな柿の木があった。柿はその幹を撫でるだけでも健康によいといわれているが、その若い葉は天ぷらにしたりほうじて茶のように健康飲料にもした。
 「桃」は、古くからあったものは桃太郎の桃のように先の尖ったもので、丸形のものはなかった。その葉を浸したぬるま湯はあせもに効果があるので幼児などの行水に用いた。
 「桐」は生育が早く、二十年前後で用材になるので、農家では女の子が生まれると宅地の隅などに何本か植えて、嫁入りの準備とした。下駄が日常の履物だった時代には、消耗の激しい必需品だったので、その材料としての需要も多かったが、嫁入りの表道具といわれた箪笥や長持には桐材を用いたので、良質のものは高価に取り引きされた。
 「棗」は東南アジアの原産だというから仏教と共に渡来したものと思われる。不老長寿の仙薬といわれるのは、仙人が食べたものとして中国の古い物語によく出てくるからだろう。熟して茶褐色になった実は、特有の香りと風味があって、子供たちのよい間食となったので必ず植えておくべきだといわれていた。
 「茶」は、低灌木なので道路沿いや隣家との境界などに植えられた。
 意外な吉祥樹に「山椒」と「梔子(くちなし)」がある。山椒の実や若い葉は、日本料理に珍重されるが樹皮は薬用にする。毒消しの効果があるので擂粉木(すりこぎ)は、山椒を最高とする。梔子は、その実が成熟しても口を開かないのでその名がついたというが、その実で染めたくちなしぞめを乳幼児の肌着に用いるのは、その成分が軟らかい肌を守るからだといわれている。また、梔子で染めたものは、長く床についている病人の床ずれにも効果があるというので、年寄りが寝ついた折りの用心にと、白木綿を梔子で染めておく家が多かった。
 この土地だけかも知れないが「棕櫚」も吉祥樹で、どこの屋敷にも必ず植えてあった。鎌倉時代の豪族渋谷重国の孫大谷四郎が普及させたものだといい伝えられているが、その繊維が強靱で耐水性が強いので漁網や荷縄、引き綱などに用いられた。四郎は、棕櫚綱で編んだ太い丸竹の簀(す)を湿地に敷いて軍馬を通行させたので今も田んぼの中央に陣馬道の名が残っているが、この丸竹の簀が置き橋といわれたもので、必要のない時は巻いて引き上げておいたので巻き橋と呼んだ。この地にあるものは、一木一草といえどもすべて我が味方なりという四郎の信念が独特の戦術を生み出したものだが、渋谷一族にとって棕櫚は吉祥樹の筆頭だったにちがいない。

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