亀島の水芋

 海老名には、弘法大師の伝説が三カ所にあるが、一番よく知られているのは上今泉常泉院の三日月井戸で、弘法大師がこの地を通った折、大地に錫杖を突き刺したらそこから滾々と清水が湧き出した。それが現在もある三日月井戸で、常泉院の名はそれに由来すると言われている。
 また、国分の尼寺下にあったという蛭沼は蛭が多くて、魚すくいをする子供たちは何時も足から血を流していた。通りかかった弘法大師が、沼の鰻が蛭を食べるように祈念したので、それからは蛭の数はめっきり少なくなったが、その後は、ここでとれる鰻はみんな蛭を腹いっぱい食べていたということである。
 もう一つは、台地を越した「亀島の水芋」である。亀島と呼んでもここは島ではない。古くは、僻地を島と呼んだのでこの土地も昔は辺鄙な所だったのだろう。昔、目久尻川の流れで芋を洗っている老婆に、通り掛かった弘法大師が「その芋をめぐんでくれ」と言ったが、「これは水芋だから食えないよ」と言って見向きもしなかった。 ところがその晩、煮た里芋は本当の水芋になって、固くて食べることができなかった。その時、捨てた残りの芋が水辺に自生するようになったのが亀島の水芋だと言い伝えられていた。
 戦前まで亀島には水車が回っていたが、水車小屋の近くに株立ちしているのが水芋だと地元の老人が教えてくれた。葉は、里芋そっくりで八つ頭のような感じだった。冬になるとずいきは枯れたが、寒中でも湯気の立つような流れだったので地下茎は、そのまま越冬したものと思われる。昭和の初めまで見掛けたという人がいたが、何時ごろまであったかははっきりしていない。
 水芋にもいろいろあって、長池の水芋は河童が助けてもらったお礼に伝えたものと言われ、外傷に特効があり、百姓新平の家伝のものだったので新平さんの河童芋と呼んだが、葉がおもだかに似ていたというから慈姑(くわい)のようなものだったのだろう。
 亀島の水芋は、葉が里芋そっくりだったので同じ水芋でも全く別種のものだったに違いない。野生の芋を山芋と呼ぶのに対して、里芋は南方から伝えられて里に作られるようになったので、その名がついたというからその歴史は古いものにちがいない。
 さつま藷は、江戸時代の農学者青木昆陽によって普及されたものであり、馬鈴薯も勿論弘法大師の時代には無かったので、ここでいう芋は里芋のことだが、里芋は皮が厚いので土のついたまま焚き火に埋めて焼くとうまい焼き芋になった。
 弘法大師の伝説には、自然の悪条件を克服したり、悪疫の流行を押さえたりして庶民を救う話が多いが、中には一碗の水を惜しんだため井戸が涸れたり、この水芋のように食べられなくなったりした話もある。
 しかも、そうした話の対象はたいてい女性である。女は、業が深いから成仏できないという仏教思想の影響かもしれないが、草木まで悉皆成仏するという仏本来の教えに矛盾する。
 ある寺の住職が説教の折、女は慾が深くて物惜しみをするからそれを戒めたものだと言ったが、物惜しみをするからといって生活に支障を生ずるような罰を与えるということは、それがたとえ方便であっても承服できない。方便には必ず救いがあるが、こうした話には救いが無い。
 物惜しみを短絡的に慾が深いと考えるから業が深いなどという言い逃れをしなければならないので、物惜しみは言い替えれば物を大切にすることでもある。それは女の業というより日常生活がそうさせるので、三度の食事で手を加えずに食膳に上がるものはほとんどないが、昔は、団子一つでも重い石臼を廻して粉から始めなければ口に入らなかったので、一家の食生活を支える主婦の苦労は大変なものだったろう。乏しい生活を余儀なくされていた時代では、家族を飢えさせないためには里芋一つでも大切だったにちがいない。
 何時の時代でも、子供を育てるという立場から女は食生活の責任者である。この老婆とて施すことが必要だとは思ったであろうが、家族を飢えさせないことがもっと重要だと思ったとしても責められるべきではない。これは、食糧不足の飢餓地獄に喘いだ戦時中を思い出せば理解できることである。
 生活の実態も考えずに凡俗に罰を与えるということは、それがどんな高僧のすることであっても承認できるものではないが、こうした伝説は超能力や法力を強調するための作り話と考えたい。
 孔子は″述べて作らず″と言い、むやみに自説を立てず、先賢の説を尊んでその思想を伝えるだけだと論語に残しているが、海老名昔ばなしも語り継がれているものをそのまま伝えるように心掛けて、自己流の解釈をしたり興味本位に書き直したりしないことを立て前としているが、この弘法大師の亀島の水芋には釈然としないものがある。

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