番小屋の思い出

 番屋組という戦時中の隣組のような制度は江戸時代に作られ、年貢や人足の割り当てに対して責任を取ることを目的とした組織であった。
 中河内では、上組、中組、下組と三つの番屋組があり、それぞれ十戸ぐらいの農家で構成されていた。
 番小屋は、秋の稲刈りの時にその番屋組の各戸から出役して田んぼを見渡せるあぜ道の傍らに、竹、ナワ、ワラを持ち寄って作った二坪ほどの小屋である。
 この番小屋は、稲刈りの始まりから終り、だいたい十一月ごろから(昔は今より刈り入れが遅かった)の約一ヶ月間建っていて、組の内の二戸ぐらいが交替で毎日お日様が大山に沈むころワラを番小屋の前で燃やし、農民はその火を見ると一日の農作業を終えて家へ帰らなければならない掟であった。
 江戸時代の農民、特に小作人たちは自分で作った米を食うこともなく全部年貢に取られ、粟や稗を食って飢えをしのいだが、その農民たちが年貢として差し出す米を”盗む”のを防ぐのがこの番小屋の目的であった。
 盗むといっても、自分が作った米を自分が食べるわけであるから何ら責められることはないのだが、とにかく当時は年貢米となる米であるから、少しでも欠ければ組全体の責任としてきびしく追求されるので、自己防衛の手段として番小屋を建て、暗くなってから田んぼの周囲をうろつくことを自ら戒めたのである。
 さて、私が子供のころはそのような悲しいものでなく、一つの行事のようになり、番小屋に詰めるのも忙しい親に代わって子供がやった。私たちは夕方になると二、三人でワラを抱えて番小屋に集まり、歌を歌いながら遊び、太陽が沈み始めるころ持って来たワラを燃やしたものであるが、これも昭和の初めごろまでのことである。

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