ぬさの由来

 今はほとんど見られなくなったが、戦前までは母屋などの新築の上棟式には、きまって天井に当たる部分に板を並べて式の座を仮に設け、正面にぬさを立て、それに海山の幸を供えてその家の安全と繁栄を祈願したものであった。
 なぜ、そのぬさなるものを上げるかについて、長い間、疑問を持ち、折にふれては大工さんはじめ、多くの方から話を伺っておいた。細部になると多少の食い違いがあるが、総合してみると次のような話がもとになっているようである。
 昔、腕がよいと評判の大工の棟梁がいた。あるとき、鎮守様の神殿の新築を請け負ったが、弘法にも筆の誤りのたとえどおり肝心の隅柱の一本を短く切り落としてしまった。棟梁は、どうしたものかと腕を組んで考え込んで、家へ帰ってもひと言も口を聞かず、ふさぎこんだままだった。
 棟梁のおかみさんはこの様子を見て、「どうかされましたか!なにか心配ごとでも?」と尋ねた。 棟梁は「実はこれこれ・・・」と事の次第を打ち明けた。
 するとおかみさんは、「では、こうなさったら!他の三本の隅柱も同じように切りそろえ、足りない分を補うために、私の髪に差しているこの櫛の上向けの形に刻んだ木を継ぎ足して、桁を支えるようにしたら飾りにもなるではありませんか」と斬新奇抜な案を出したのだった。
 「そりゃあ、良い考えだ」と棟梁は乗り気になり、膝を打って喜んだ。しかし、棟梁ともあろうものが妻の入れ知恵で、より立派な普請ができたと世間に知れ渡ったら面目まるつぶれだ。そこで、「妻よ許せ」とばかり手もとにあった手斧を振り上げ、一撃のもとにその首を切り放ってしまった。
 その首は陰陽道で鬼が出入りするといって、万事忌み嫌う方角の鬼門(北東)の方に飛んでいってしまった。このとき、棟梁四十二歳、妻は三十三歳、偶然にも二人とも厄年、しかも、男女にとって大厄に当たっていたという。
 それで棟上げのときは魔除けのために、鬼門に向けて破魔矢を立てる。一方、ぬさはこの棟梁の妻を人型に象徴させて作ったものだという。
 つまり、中心の柱を身体に見立て、それに七本、五本、三本の順で黒線を入れ、飾り付けるものはすべて婦人用のものばかり。まず、魂になぞらえた鏡、髪を表わすかもじ、それに櫛かんざしを上部に飾る。次いで、着物としごきを模した五色の布を長く垂らす。別に腰ひも代わりの布、作法上必要な扇子、紙に包んだ小遣銭、清浄潔白さを表す麻など、色とりどりに仕立て上げる。このぬさ作りはすべて、大工さんの手によって行われるのである。
 式が済めば、このぬさは棟梁さんに贈られる。大正十三年六月の旧海老名小学校河原口分教場の上棟式のときには、このぬさが五本上げられた。数が多いときは、副棟梁さんや鳶の頭にも贈られるのが慣習になっていた。

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