旅役者と狐

 大山街道は別名、矢倉沢往還とも言って東海道の裏街道だったので、国分の宿には旅籠屋、料亭、茶店などが軒を並べ、時々、旅役者の一座などが小屋掛けして興行することもあった。
 江戸末期、女歌舞伎の一座がここで興行したときの話である。
 女歌舞伎であるから役者は全部女で、男は座元の太夫と裏方だけであった。女の口跡(声)はそのままでよいが、男役の声色は出せないので、その部分は全部太夫の弾き語りに合わせて、口だけ動かして踊るのである。それが人形浄瑠璃や、歌舞伎の人形振りとはまた違った趣があり、毎日札止めするくらい人気があった。
 一座の看板役者は鳳車(ほうしゃ)と言ったが、これは胡蝶という意味で、その名の如く容姿が際立って美しく、まだ、二十になったばかりだというのに群を抜いた芸達者で、世話物の町家の娘など演ずると、その美しさとお色気には老若男女が魂を奪われてしまった。
 ある晩、切り幕で「野崎村」を上演したとき、鳳車の扮するお染の可憐さ初々しさにすっかり魅了されてしまった地元旧家の道楽息子が、「芝居がはねた後で、舞台衣装のまま酒の相手をしてくれるように・・」と、座元へ申し込んだ。こうした贔屓(ひいき)筋の要望は珍しいことではなく、また役者としては箔のつくことでもあるので、「のちほど、駕籠でお邸まで伺わせます」と返事をしたが、まだ若い看板役者でもあるし心配だったので、屈強な裏方をつけて送り届けることにした。
 一方、酒席をしつらえて待っていた道楽息子は、すっかり上気嫌でにぎやかな酒席となったが、鳳車は見掛けによらぬ酒豪で、さしつさされつ盃を重ねているうちにとうとう双方とも酔いつぶれてしまった。
 夜中に目を醒ました道楽息子は、眠りこけている鳳車を見て驚いた。あの舞台の上での美しさとは似ても似つかぬ婆さんで皺だらけの顔の半分ほどもある大きな口をあけて高鼾(いびき)なのである。
 一時に酔いも凡欲も醒め切って祝儀と折りに詰めた料理を持たせると、夜の明けないうちにと、あわてて駕籠を呼んで送り返した。
 舞台姿の美しさにひかれて化物のような婆さん役者を呼んでしまった自己嫌悪から、この男は二度とこの女歌舞伎を見に行かなかったというが、実は、この晩、鳳車の乗った駕籠は、「どうしてもご贔屓のお邸が見つかりませんでした」と、探しあぐねてとっくの昔に帰って来てしまったのである。
 大事なお客さんに恥をかかせたことになり、贔屓筋から抗議されるのではないかと恟々としていた座元は、祝儀袋が鳳車の鏡台の上にあっても本気にせず、恐がって手を出さなかったが、鳳車は、「私の身を気づかって、コンちゃんが身代わりに行ってくれたのよ」と笑っていた。この一座には何年か前、旅の途中で拾った小狐が飼われており、今では成長して一端の座員気取りで食事まで一緒にしていて一座の者もみんなこれを大事にしていたが、殊に鳳車は自分の食べ物まで分け与えるほど可愛がっていた。
 一座が難局に直面したり鳳車が苦境に立つような折、思いもかけず事態が好転することが度々あって、座員一同その奇跡にいつも驚いていたが、そんなとき、この一座の″ペット″狐のコンちゃんは決まってしばらくの間姿を見せなかったということである。

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