名医に診察してもらった狐

 これから藤沢まで行ったのでは帰りが遅くなるので嫌だとは思ったが、名主の頼みだから断る訳にもいかず、馬方甚兵衛は一駄(注1)の小豆を馬の背に、秋の陽足を気にして空を何度も見上げながら家を出た。
 番頭さんに「気をつけてお帰んなさいよ」と言われて、藤沢の小豆問屋を出たのは、ほこりっぽい街道に馬の影が長くうつる夕方だった。
 用田の宿に来た時は、腰掛茶屋がそろそろ大戸を下ろそうとする時刻だったが、馬も休ませてやりたいので杭につなぐと水をもらってやり、自分も店にはいった。
 顔馴染みなので主人も愛想よく迎えてくれて「残りものですよ」と伸びてしまった手打ちうどんに枡酒を出してくれた。
 「おそくなりますね」
 「これがほんとの寝(子)の刻帰りさ」
 甚兵衛は冗談を言いながら馬方茶屋を出た。子の刻とは夜中の十二時頃のことである。
 多年の経験で、道中は早いか遅いか偏った方がよく、中途半端な時刻が一番追い剥ぎなどに狙われることをよく知っていたので、提灯もつけず通り馴れたナンジャモンジャの木のあたりにくると、高張り提灯を立て並べた、立派なお駕籠のそばに、大勢の供人が控えている大名行列に出会ってしまった。
 馬を道ばたへ寄せて様子を見ていると、駕籠わきから立派な武士が近づいて、「殿様が道中での急病で途方に暮れているが、近所に医者はいないか」と言うのだった。
 「この地に隠居された名医を知っています」と答えると、「その方に診てもらえるようにお力添えを願いたい」と丁寧に頭を下げるので馬方は一行をその医者の門前に案内し、直接頼んでやった。
 この老医は気さくで、誰とでも分けへだてなくつき合う人なので、「よし、よし」とすぐにその急病だという殿様を診察したが、何度も何度も小首を傾げて考えているのでよほどの重態かと思ったら、やがてにっこりして「すぐによくなる」と薬湯を飲ませた。それが利いたものか殿様は苦痛もおさまって、やがてうつらうつらと居眠りを始めた。
 老医は「しばらく休ませておくように」と言ったが、先程の家老と思われる侍が「申し訳ございませんが、事情がありますので引き取らせて頂きます」と、沢山なお金をお礼に置くと、供揃えをして闇の中に消えて行った。別れる時、お礼だと言って馬方にも何枚かの小判を懐紙に包んで渡した。
 翌日、馬方が老医を訪ね「沢山のお礼をもらいましたが、こんなに頂いてよいものでしょうか」と相談すると「あれは人間ではない」と言う。驚いて聞きかえすと、「手を握った時から変だと思ったが、あの脈拍は人間のものとは全くちがって動物のものだった。多分近所の山にでも住んでいる狐だろう。それは助けてもらったお礼だろうが、返そうにも届けようがないからもらっておくがよい。もしもの時は私が証人になってやる」と笑っていた。
 馬方が帰りに昨夜行列がとまっていた所を通って見たら、どこから集めてきたものか、お葬式に使った墓場の高張り提灯がずらりと立ててあった。
 馬方は老医の言葉に従って、その金で質入れした田畑をうけ出し、その後は馬をひく賃稼ぎをやめ、中農として平和に暮らした。
 この老名医が半井驢庵(注2)であったかどうかは伝えていない。 

(注1)「駄」・・・馬の背に負わせた荷物の数をかぞえることば。
(注2)半井驢庵(なからいろあん)・・本名、半井瑞寿成近(~1639年)。徳川三代将軍家光の侍医で典薬頭。相模国恩馬村(現本郷)に千石を受ける。瑞寿の三代前の瑞策から通称驢庵を名乗る。驢庵に関する伝説は土地に数多く伝えられている。

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