別珍の襟巻

 お正月、松の内の出来ごとである。いつも赤い涎掛けをしていられる路傍のお地蔵様が「襟巻をしていられる」と子供たちが騒いでいた。通りがかった若い衆(青年)は何気なくお地蔵様を見て驚いた。その首に巻いてあるのは昨夜自分が女に貸したものと同じ紺の襟巻である。しかしそれが自分のものだという証拠もないし、落ちていたのを通行人が拾ってわざと目立つようにして行ったのかも知れないのでそのまま帰ったが、気になるのでその晩確かめに行ったら、もう襟巻はなかった。
 若い衆は不思議でならなかった。それは昨日親戚の年始まわりから帰る途中、道連れになった娘がいて、何となく話しながら一緒に帰る途中、肩掛け(ショール)をしていない島田の襟元が、日暮れの風に妙に寒々としていたので、酔っていたせいもあって気軽く、「嫌でなかったら」と外して肩に掛けてやったもので、暗くなるまで立話しをしたあと、別れる時、「この次にお会いするまでお貸し下さい」と会う日と場所を約束し、「その時お返しいたします」と、顔を包むようにして行った、若い衆自慢の別珍の襟巻なのである。女はすらりとした田舎には珍しい色白の美人で、細面の顎が尖ったような感じだった。
 若い衆は約束した場所へその日に行って待っていたが、娘はとうとう姿を現さず、その後襟巻も返しにはこなかった。
 何日かの後、ある農家の下男が、よその墓場で墓石に押しつぶされて死んでいたという事件があったが、首に別珍の襟巻をしていた。あまり例のない変死で、その上身につけていたのが、年期奉公をしている農家の下男には釣り合わない品だというので、検死に来た地廻りの岡っ引きが「何かの手掛かりになるだろう」と持ち帰った。
 一月下旬のこと、義太夫の稽古に行った若い衆はその帰りに偶然、お正月に襟巻を貸した娘に出会った。その後のことや不審な点をたずねると「お話ししたいことがあるのでちょっと来て」と言って、若い衆を引っぱるようにして、人家を離れたよその墓地へ連れ込んだ。
 娘は不遇な身の上話をして、胸にもたれて泣いていたが、その体がだんだん重くなり石の柱でも支えているように感じた時、若い衆は墓石に押しつぶされていた。
 台石のすき間が命を救ってくれたが、はさまれた足はどうしても自力ではぬけず、助けを求める声に集まった人たち五、六人の力を借りねばならなかったほどだから、もろに下敷きになったら勿論命はなかったろう。
 この時若い衆の脳裏をかすめたのは、先日死んだ農家の下男もこんな状態で女にだまされて死に追いやられたのではないかということだった。詰め所へ呼ばれて一応取調べを受けたが、別珍の襟巻のことを話すと岡っ引きは、「とんだ災難だったな。悪い狐のしわざだろうよ」と言って深くは追及しなかった。
 維新後の世情の変遷で、岡っ引きの権威がなくなっていることを自身がよく知っていたからでもあろうが、その前後狐にからんだ事件が方々にあったからでもあろう。
 若い衆はいろいろ噂のたねになったため、親や親戚のはからいで「まちがいのないうちに」と、間もなく結婚したが「行きずりの女や氏素姓のわからない女とは金輪際つき合うものではない」と常に後輩たちに諭していた。

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