背が低くなったお婆さん

 農家の人たちは昔からよく働いたが、現金収入の道が少なかった時代、殊に海老名のような単作の土地では一カ月六十銭くらいの電灯料金にこと欠く家もあった。従って支出をできるだけ切り詰め、お金を使わないこともりっぱな働きであるという考え方だったので、自給自足を建前とし、日常使う番茶も自家製だった。
 海老名では、多少ばらつきがあったが五月上旬が製茶の適期とされていた。しかし、この時期は若芽の育ちが早いので、茶摘みが遅れると葉がこわくなって味も香りも落ちるし、逆に早すぎても、上質の茶はできるが歩止まり(注1)が悪く、収量が減るので、その年の気候によって「端午の節句」前後の十日間を大体の目安としていた。
 茶は微妙な香りに生命がかかっている。他の匂いにも敏感で、製茶のときについた匂いは飲むときまでぬけないから、茶摘みのときは女性も手にクリームをつけたり、髪の毛に触れたりしないように気をつけた。特に油類と魚の匂いには細心の注意を払った。
 杉久保のある農家での話である。
 家族で茶を揉んでいるところに、いつも出入りしている魚屋が行商にきた。主人が、「今日は家中で茶摘みをしているし、こうして茶を造っているからだめだよ」と、断ると、「どこへ行ってもお得意さんが茶造りだと言って買ってくれないが、一束(注2)五十銭で投げていく。どうだ」と、生きのよい大形の鰯がたくさん入っている平籠を放り出すように置いた。そこへ、お勝手仕事をしていた魚好きのお婆さんが顔を出し、「私が貰っとくよ」と、気前よく一籠そっくり買い取った。息子が気にして、「今日は茶造りに手を出さないでくださいよ」と、断ると「承知しているよ。お番仕(お勝手仕事)だけで手いっぱいだから、そっちが済んでほいろ(茶の葉の乾燥器)が空いたら夜なべに焼くよ」と、出刃包丁で竹串を器用に削って鰯を一本一本ていねいに刺し、猫にとられないように軒の低い裏口の屋腹(藁葺屋根の軒下の内側)へ、台に乗って刺し並べた。
 五月の長い日も暮れて、製茶に仕上げの火入れを済ませた息子が、「もうほいろを使ってもいいよ」と言うと、待っていたとばかり、お婆さんは屋腹の串をせっせと運んで炭火の周りに立て並べたが、全部は並べきれず、「残りは夜なべに焼くからみんな先に寝な」と、夕食後も一人で土間のほいろの周りで炭をついだり、串の裏表をかえしたりしていた。
 家族は昼の疲れでぐっすり眠りこんでしまったが、息子が夜中に、大ぜいの人が外に集まっているような気配を感じて目を醒ますと、お婆さんはまだ土間の薄暗い釣り行燈の下で鰯を焼いていた。だが、おかしなことに手拭いをかぶってほいろの向こう側にいるその背がひどく低く見え、胸から上だけ出してやっと手を伸ばしているようだった。
 多分、立ち疲れで向こう側の台に膝でもついているものと思い、気にもせず再び寝込んでしまったが、翌朝目を醒ますとお婆さんが「ほいろの中の鰯が、全部なくなってしまった!」と黄色い声で騒ぎ立てていた。
 「お婆さんは夜中までほいろの向こうにいたじゃないか」というと
 「私しゃ、そんなに遅くまで起きてはいなかったよ。猫にとられないように大きな金網をかぶせて寝てしまったよ」と、歯ぎしりしてくやしがった。
 それでは夜中に見た背の低いお婆さんは何だったのか。この謎は狐でも引き合いに出さない限り、息子にも解けなかった。 

(注1)歩止まり・・加工したとき製品として残ったものの原料に対する割合。茶の場合おおむね25%が標準。 

(注2)一束・・百を単位とした昔の数え方

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