天罰てきめん

 母親と娘がぴったり寄り添い、提灯で足もとを照らしながら如意輪観音堂の右手の坂を下りてくると、コンコンと狐が鳴いた。
 「おっ母さん今夜も狐が鳴くね。何か変わったことでもあるんじゃないかしら」
 「いやだね。別に生臭いものを持っている訳でもないのに」
 提灯をちょっと上げてみると、目の前の墓場には人が立ったりうずくまったりしているように、たくさんの石塔が黒ぐろと影を並べている。二人はさらに体を寄せ合った。
 戦地へ行っている息子の武運長久祈願のため、娘を連れて毎晩この観音様へお百度詣りをしているのだがいくら気が張っていても女二人の夜道だから恐いのは当然である。
 いったん表石段の下へ出てからお百度を踏み始めるのだが、ここから観音堂の虹梁(こうりょう)の下まで五十回往復するのは大変なことである。
 この祈願は二人でする場合、一人五十回で百と数えるので、人数が倍になれば回数は二分の一、ということになる。
 母娘は袋に入れた大豆を一度に二粒ずつ別の袋に移し、大豆がなくなるまで一心に祈願した。
 信仰心のない人や無神論者の多い現代では、「お百度を踏む」という言葉それ自体が死語となってしまって、どんなことをするのか見当がつかないだろうが、切羽詰まったとき、神や仏に一日百回お詣りしてその御利益を頂こうとするもので、「壺坂霊験記」に登場する沢一の言葉を借りれば、神仏にすがるぎりぎりの膝詰め交渉なのである。
 何日続けるかは心願の筋と状況によって異なるが、一週間あるいは一カ月、一年間、または心願成就までとか、各人各様のものである。
 お百度の回数を数えるために算木、算板、算盤などが置いてある霊場もあるが、生命や健康に係わる祈願に大豆を使うのはまめ(健康)という意味からで、百本のこよりを一本ずつ折り返して数える方法もある。
 雨の日も雪の夜もこの母娘は夜更けの田舎道を通ってお百度詣りを続けたが、娘がちょうど年ごろで村でも評判の美人だったので、この母娘を驚かせてやろうと悪だくみをしたのは、遠くの村から地元の農家へ作男に雇われてきている小柄な男だった。
 ある晩、二人がいつものように提灯で足元を照らしながら坂道を下りてくると、下駄が一足、目の前に落ちてきた。不思議に思って提灯を上げてみると、すぐ鼻先に人間の足が二本ぶら下がっている。
 「キャッ!首つり!」と叫ぶと母娘は腰を抜かし、折り重なって坂をすべり下りたが、後ろでどさりと何か大きな物が落ちる音がしたので恐怖に声も出ず、当時石段下で駄菓子などの商いをしていた家へ転がり込んだ。
 豪胆な店の主人が心張棒を持って現場へ駆けつけたときには、首つりの姿はなく、少し離れた草むらに焼き印を押した下駄が片方残っていた。
 田舎のことだからその暁き印がどこのものかはすぐわかったが、脅かした犯人割り出しの決め手にはならず、そのままうやむやになってしまった。
 しばらくたって某家の小柄な作男が、滑って腰を打ち、中気が出たと言ってひまを取っていった。まだ独身で中気の出る年齢でもないのに右半身が利かなくなり、手の甲を丸めて前に突き出し、円を描くようにふるえる姿が狐のようだった、という噂が村中に広がった。
 何年かたって、この男が「母娘が腰を抜かした姿がおかしくて、ぶら下がっていた手の力が抜け、落っこちたときの打ち所が悪かったものだろう」と、親しい友達に話したという。
 国のために命を捧げて戦地で苦労している兵隊や、その武運長久を祈ってお百度詣りをする母娘の気持ちも察せず、狐や首つりの真似などして脅かした天罰だ、と村人たちは心の中で快哉(かいさい)を叫んだ。
 その後、息子は無事に凱旋し、娘は幸せな結婚をした。日露戦争当時の話である。

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