大入道に化けた狐

 選挙の時投票所になる大谷児童館の辺りは小字名を天神と呼ぶが、坂下百メートルほど手前の右手の奥に天神様が祭ってあることが地名の起こりである。
 天神地区には昔から高持百姓が多く、いずれも精農だったが、某家の息子は体格もよく力もあって、仕事によっては二人前をこなした。
 昔は大工・左官などの職人から百姓にいたるまでそれぞれの職業に「通り」というものがあった。これは、成人なら普通の状態では、この位の量の仕事はできるだろう。したがってそれだけ出来なければ一人前でない、という社会通念上の標準で、使用人や職人には法制化されていないノルマみたいなものだった。
 手搗(つ)きで米は一日に二俵、大麦なら一俵搗き上げるのが百姓の「通り」で、そのほかにもムシロ・俵あみなどいろいろ「通り」があったが、一日に一束(百)の桟俵は、体を二つ折りにしてかがんで作るので一番苦しかったようで体格のよい者ほど大変だったらしい。
 さてこの息子、ある雨の降る晩に物置きに灯りをつけて夜更けまで米搗きをしていた。明るいうちに搗き上げる予定だったが、近所の人が来て話しこんだため、その分だけ夜にくいこんでしまったので、精出して搗いていると、軒垂れの音にまじって「助けてくれ、助けてくれ」という声が聞こえる。手を休めて耳を澄ますと、とぎれとぎれのその声は神明社の森のあたりから聞こえてくる。豪胆な息子は、薄明りの雨の中を傘もささずに駈けだした。
 神明社の女坂を一気に駈け上って見ると、右手の大きな松の木の下で、仲の良い近所の人が両手で首をかばうようにして泣いていたので、ぶりかつぎにして女坂を一気にかけ下り、自分の家まで連れてきたが、いつまでもふるえて泣きじゃくっていた。
 落ちついてから訳を聞くと、大入道が縄の輪を出して「これに首を入れろ」と迫ったが、中に入れればくくられてしまうので、首を振って避けていたがどうしても逃げることが出来なかった、とおびえながら話した。息子は「例の狐だな」とひとりうなずいた。
 この近所の人というのは小柄であまり健康でなく、時々持病の胃痛で苦しむが、体質に合っているとでもいうのか、そんな時、鰹節をかじるとおさまるので、いつも削り細った鰹節を三尺帯にくるんで持っていたが、ちょうど切れたので、そのころ酒類雑貨などを商っていた井上商店へ行って鰹節を二、三本買い、ついでにコップ酒を飲んだ。
 まさかこの鰹節が狐に狙われるとは考えてもいなかったが、店を出るとすぐに道をまちがえ目と鼻の先にある自分の家が見つからず、雨の中を何時間も歩き続け、迷いこんだのが神明社の隣の森だった。家を出る時さしていた傘はあとで上打越の雑木林の中で見つかったが、勿論ふところの鰹節はなかった。
 当時はこのような怪談が非常に多く、農家の下男が墓石に潰されて死んだ事件もあり、夜になると出歩く人も絶えて、宵のうちから村全体が静まり返ってしまった。
 夜遊びの好きな青年たちもすっかりおびえて、寄ると集まるとお互いに怖い話をしてはお互いに怖がっていた。

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