代々祟った狐の怨霊

 この土地に伝わる怪奇談を集めた「妖異記」(注)という文書があるが、ここではその中にある狐の話を紹介します。
 どこからきたのか、何人かの武士に警護された立派な塗駕籠が山門の前に止まった。定紋が隠してあるのは、なにか訳のある忍びの供揃いだからであろう。
 前の駕籠から下りた中年の婦人が次の駕籠に近づいて、二言、三言話しかけた。母親であろうかそれとも乳母であろうか。お高祖頭巾で顔を包んだその婦人に促されて荒々しく下り立ったのは、髪を尼削ぎにして肩の少し下の所で切り揃え、目の醒めるような友禅の振り袖を着た十七、八歳の娘であった。
 この寺は創建以来、何度か興廃を繰り返していたが、当時は修業を積んだ″生き仏″と言われている高僧が住職だったので、不惜身命の荒行をするたくさんの学僧が日夜修業に励んでいた。
 駕籠から下りた娘はわき目もふらずに山号を彫った石柱に近づき、これを蹴った。八十貫(300キロ)はあるだろうと思われる石の角柱は、どすんと後ろへひっくり返った。供人たちは娘をなだめすかしながら、桜の花が一面散り敷いた山門の中に姿を消したが、境内は静まり返っていた。
 使いの供人が本堂に走ると、やがて何人かの寺僧がこの一行を山門内で出迎えた。丁重なあいさつを述べているのは訪れた一行が身分の高い人たちだからであろう。
 雪のように白い眉毛の老僧が一歩前に進んで、本堂前の大きな供養塔を指さし「姫よ、あの石が台からおろせるか」と問いかけた。
 「ふん」と鼻先で笑った娘は、振り袖を前で大きく結ぶとぽんと後ろへ投げ上げて襷のように背にまわし、二の腕もあらわに、自然石の上に立ててある三界幕霊の供養塔に近づき、軽々と抱えて放り出した。山門の前で蹴倒した石柱の倍はあるだろうと思われる供養塔は、その角を「どすん」と大地に深くくい込ませた。
 若い僧たちの顔は真っ青になった。本堂へと促された娘は歩きながら二基の灯籠をこともなげに蹴倒すと、不敵な笑いに口元を歪めながら、虹梁下の階段を踏みならして上って行った。
 本堂の護摩壇に火が点じられて衆僧たちによる怨霊調伏の修法が始まり、激しい呪文と読経の中で次々と投げ込まれる護摩木がぱちぱちと音をたて、炎の形がさまざまに変わっていった。
 蓮華形、登竜形、金烏乱舞形、やがて蛇が鎌首をもたげたように炎の先が横に揺れなびくと導師は「蛇頭形!」と大きく叫んだ。怨霊調伏の修法が始まってすでに半刻(一時間)近くたっていた。
 しばらくすると、静座していた娘が猫のように両手で畳をかきむしりながら狂いだした。老僧は娘の前に進んで静かに語りかけた。
 「人間の生命を左右し運命の流れを歪める障害が五つあり、これを五壇の障りという。一が生霊、二が死霊、三を野狐、四を厄神、五を呪詛とするが、お前の正体は野狐すなわち動物霊であろう。何のうらみがあってこのような小娘に祟りをするのか、仔細に語れ」と、不動の呪文を唱えながら衣の下で秘法の印呪を結んだ。
 娘は両手の指を二の節から折り曲げて前に突き出し、大きく震わせながら、「いかにも狐の霊である。熱湯をかけられて恨みを飲んで死んだ狐の怨霊であるが、何代祟ってもこのうらみは消えるものではない」と泣き叫んだ。老僧は頷きながら重ねて問いかけた。
 「どうした理由で熱湯をかけられたのか」
 「今を去ること百余年、邸の主が年取ってから生まれた未娘のために離れ御殿を新築したので、その床下に巣を営み三匹の子を産んだが、乳を求める子狐の鳴き声が耳障りだと、侍女家臣に命じて我々親子を追い出そうとした」
 「しかし何で己独りが逃げられようか。焼野の雉子夜の鶴、子を思う親の心に変わりはない。生まれて間もない三匹の子狐を抱えてうずくまる上から、床板をはずして熱湯を浴びせられ、親子もろとも爛れ死んだのじゃ」
 「全身赤裸になってのたうち苦しむ子をいだき、なす術もなく共に苦しむ断末魔。焦熱地獄の苦しみは修羅の妄執となって宙に迷い、何百年たっても消えるものではない」
と、大きく開いた口から舌を泳がせ、あえぎながら語る娘の言葉は怨みに燃え、筋肉が赤紫に引きつり盛り上がった憤怒の形相は、般若の面さながらの恐ろしさであった。
 老僧は、狐の霊がのり移っている娘に向かって説き聞かせた。「崇られる身も崇る身も、共に苦しむ無限地獄。このままでは永劫に魔界の苦しみから脱け出すことはできないだろう。不動明王の大慈悲と経文の功徳によって成仏できるように計らってやるから、静座して聴聞するがよい」と珠数で何度もその背をなでさすり、不動の呪文を繰り返した。
 狐の霊は、なおも語り続けた。
 「生あるものが滅するは世の定め。己の知恵の足りぬため機を失って逃げ遅れ、命を失ったのであればこれほどのうらみは残るまいが、這うこともできない子を抱えて逃げるも隠れもできない親子に、煮え湯をかけたその所業はどれほどうらんでも憎んでも足りるものではない」
 「代々当家の末娘に崇り続けてきたが、この娘が六歳のとき、高貴な方と許嫁になった。位を得て身分が高くなってからでは近づき難いので、いかにもしてこれを破縁にし、不幸の淵へと追い落とし、六親眷族悉くに生きながら地獄の苦患を思い知らせてくれようと、女子にとって不要の怪力を与えて狂わせたのじゃ。狂人の怪力では、知者も聖者もいかなる武芸の達人でも打つ術はあるまい」
 「従う者どもよっく聞け。前の代にも末娘に祟り、寒中といえども衣服をまとわせなかった。年ごろになっても着せれば必ず脱ぎ捨てて裸で狂う見苦しさに、とうとう座敷牢に閉じこめられて花咲く春もなく果てた」
 「またその前の代の末娘は、いくつになっても人語を使わず立って歩かず、物を食らうに手を用いず、両手を使って走り回り、あさましい畜生の姿を世にさらした。いずれも其の方たち承知のはずじゃが、みんな熱湯にただれて死んだ狐親子の崇りと知れ!」
と言うやいなや、両手をついて獣のように本堂の中を走り回り、経机を跳び越え、とんぼ返りを打って荒れ狂った。
 やがて「我が神通力を見よ」とひらりと跳び上がると、本堂の欄間にぴたりと吸いついたが、それは彩色された天女の透かし彫りのように美しかった。
 全身全霊を打ち込んでの修法に、行僧たちの顔一面に吹き出した脂汗は、護摩の火に映えて、何体もの不動明王の尊像を並べたようであった。
 娘は貼りつけられた絵のように欄間に吸いついて動かなかったが、やがて止めたものが外れたように両の振り袖がはらりと垂れ下がった。
 解脱の印を結び何度も九字を切っていた老僧が、欄間に向かって「得道できたはずじゃ、降りてこい」というと、声に応じて羽毛のごとく舞い下りた娘はしばらくうつ伏せになっていたが、やがて気がつくとやおら起き直って夢からさめたように辺りを見回し、衣服を整えて老僧始め、並いる人たちに両手をついて深々と礼をした。
 娘は介添えに手を取られ本堂の階段を一段一段と静かに下りていったが、乗り物に向かうその姿は履き物すら重たげな風情であった。
 供揃えをした一行は、薄絹を透かして見るような春霞の山門を振り返り振り返り、足どりも軽やかに遠ざかっていった。
 この物語を記した「妖異記」は、娘について京家に縁のある格式高い大名の末姫、としか伝えていない。 

(注)妖異記・・この土地に伝わる怪奇談などを記したもので、筆者坂上腹成は布袋のような大きな腹をしていたので自ら″腹成″と号した、といわれている。書画をよくし、生涯独身。辞世の句「先に行くも後から行くも同じ道」がある。

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