首なし地蔵と狐

 昔、海老名におにょうの十兵衛という大男がいた。胸は一枚肋(あばら)といって肋骨が太いためそのさかい目がないように見え、鉄板のように頑丈で、体中の筋肉はお椀をかぶせたように盛り上がりまるで仁王様のようだった。
 本来ならば仁王の十兵衛というべきだろうが、方言でおにょうとなったもので、仁王様に敬語のおをつけたお仁王様がつづまったのが語源である。現在でも地元では仁王様をおにょうさまと呼んでいる。
 この十兵衛は底なし力といわれ、また隣の部屋を欄間からのぞいたというから身長も抜群だったのだろう。近郷近在の草相撲では相手になる者が一人もないという強さだったので、本職の相撲取りになるつもりで江戸へ出たが、田舎出の武骨者だから贔屓(ひいき)する者はだれもいなかった。この上は実力で積み上げるだけだと一生懸命稽古に励んだが、背が高いため突っ張りや頭突きを食うとどうしても体が起きて、一気に寄り立てられるという不利な体勢になることが多かった。
 そこで上背を利用して相手の首を小脇に抱えてひねるという「首抱え投げ」という技を研究した。ところがある時この手で首を抱えてぐっと反ったら相手の首の骨が折れて死んでしまった。
 すっかり相撲に嫌気がさして再び田舎へ戻り百姓に精を出していたが、大男の十兵衛が普通の肥桶を天秤で担ぐ姿を遠くから見るとツンツルテンでまことに不格好なのでいつからともなく不釣り合いでおかしいことを「十兵衛が肥桶を担いだようだ」などというようになった。
 その頃、昔お寺があったという原っぱの辻にお地蔵様が立っていられたが、道を通る人に力比べを迫り、持ち物を取り上げてしまわれるという噂が立っていた。しかしそれが仏様には関係のない魚などを持っている者に限られていることから、それは化け狐の仕業だろうということで、日暮れからはだれもここを通らなかった。
 ある時、村の大地主の家で土蔵普請があり、剛力の十兵衛はその手伝いをたのまれた。御馳走になり、御祝儀と口取りの折り詰めをもらった十兵衛がほろ酔い気嫌でうっかりこの辻地蔵の前を通ってしまった。するとお地蔵様が錫杖を持った手を腕まくりして力比べをしようという。目をこすってよく見直すと、ふだんは十兵衛の腰程もないお地蔵様が同じぐらいの背丈なので、酔った勢いにまかせて包みを下に置くとむんずと組みついた。
 しかしこの石のお地蔵様はなかなか力が強く、十兵衛の胸に丸い頭を押しつけてぐいぐい押してきた。押し倒されそうになったので、得意の首抱え投げでお地蔵様の首を脇の下へ抱えると、思い切ってぐいとうしろへ反った。
 何か「ぼきっ」と折れる音がしたと思ったら、堅いものが腕の中に残ってお地蔵様の姿は消えてしまった。そしてすとんと落ちたのはお地蔵様の首だった。酔いの醒めた十兵衛はびっくりして、お首をそっと元のようにのせて帰って来たが、翌朝村の人がここを通ったらお地蔵様の首はなくて大きな狐が首の骨をねじ折られ、血を吐いて死んでいた。それからはお地蔵様が通行人に力比べを強いることはなくなった。
 十兵衛の子孫は今も健在だが、一族はみんな力持ちだという。

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