国分寺の焔上と火傷を負った狐の親子

 これは国分寺が火災で消失したという奈良時代に遡った、ぐっと古い話である。
 仏教は慈悲を旨とするが、教義的に解釈すると慈とは楽しみを与えることであり、悲とは苦しみを除くことで、つまりは生命の尊重ということになる。したがって仏の教えでは人間ばかりでなく、生あるものはすべてその生命を尊重することがたて前であるから、宗派のいかんを問わず、寺領、境内での殺生(生きものを殺すこと)は固く禁じられていた。したがってどこのお寺の境内にもいろいろの動物が住みついてここを安住の地としていた。
 聖武天皇の詔で建てられた国分寺の広い境内にも沢山の動物が住みついていたが、とくに狐狸のたぐいは多かったという。その国分寺が蜑(あま・注1)の放火によって焔上し、堂塔伽藍は折からの強風に煽られて一晩中唸りを上げて燃え続けた。
 その時境内のどこに住みついていたものか白狐の親子が焔に追われて逃げ惑っていたが、数多い寺僧も、狐を助けるどころか、経巻仏具を運び出すこともせずに燃え盛る堂塔をぼう然と見守るだけだった。
 焔をくぐって危地を脱出した白狐の親子は境(国分の小字名)まで逃げのびると、力も根も尽き果てて、息も絶え絶えに道端にうずくまっていた。
 天を焦がす火焔と激しい火勢に驚きおびえて一睡もしなかった漁師の一人が、この白狐親子を見つけたのは夜が明けてからのことだった。親狐の白い毛は焦げて見るも無残な火傷が赤黒く血をにじませており、同じように傷つきながら親狐に寄り添う子狐の姿は痛々しい限りであった。
 漁師は狐の親子をそっと崖下の静かな横穴に運んで腰蓑を敷いて寝かせた。そして魚油を塗って手当てをし、自分たちの食事をさいて粟や稗のお粥を食べさせ真心をこめて介抱してやった。
 やがて何日かの後、火傷も癒えて元気になった白狐の親子はこの横穴から姿を消したが、ある晩白衣の観世音菩薩がこの漁師の夢枕に立って「傷ついた白狐の親子を助けた功徳によって汝の子孫は末長く栄えるであろう。菩薩の化身である狐の像をまつれ」とお告げになった。
 漁師は霊夢にしたがって狐の像を彫って洞穴に祭ったが、いつからともなくこれは里人たち全体の信仰の対象となり、狐をまつる風習は長くこの土地に続いた。
 その後戦乱のために里人が離散した時代もあり、度々の地震で洞穴も崩れ埋まってしまったというが、この白狐を助けた漁師の子孫はその後の幾多の戦乱政変の危難をも免れて現在も栄えているということである。
 これは子供の頃祈祷者が某家の地所因縁を清めるために来た時、より台(注2)と呼ばれる霊能者から直接聞いたものである。 

(注1)蜑・・漁師の妻。
(注2)より台・・霊がその人の体を借りていろいろ話をする降霊者。

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