いろりに落ちた狐

 この話は大谷に伝わるものである。
 商家では十月二十日を二十日恵比寿と言って、七福神の一神、恵比須様を祭って魚を供え、商売繁盛を祈ったものであるが、海老名では農家でも二十日恵比須を祭る家があり、穫り入れや農作業の関係で、ひと月遅れの十一月二十日に行った。この時期になると水田の水も落ち、深いたまりにはフナなどの小魚がたくさん集まるので、これを獲って供えたものである。
 水田地帯の川魚は、九月上旬、稲の花掛け時には水面に落ちる芯(しべ)を吸い込むので苦いと言われているが、この時期になると気温の低下とともに魚類の食欲も落ちて内臓もきれいになるし、寒さに向かって脂ものってくるのでその味はひときわ良くなるから、「寒鮒寒魚」といって串にとおして焼き、弁慶に刺して天井からつるして保存した。
 弁慶というのは、露店商が風車や風船などを刺しておく藁束を何カ所か結わえたもので、弁慶が七つ道具を背に刺して背負って歩いた故事からとった名である。
 寒鮒をたくさん獲ってきたある農家の爺さんが、丹念に竹串に刺し、ていねいに焼き上げ、これを弁慶に刺して天井につるして置いた。夜中に目を醒ましたら、婆さんが踏み台に乗ってその串焼き魚を一串ずつ抜いてはお勝手のほうへ運んでいる。
 煮つけて昆布巻きにでもするつもりだろうが、どうせ運ぶなら一度踏み台に上ったときに何本も抜けばよいのに、一本ずつお百度詣りのように同じことを繰り返しているので、見ている爺さんのほうがじれったくなってきた。それにそんなに足腰が弱っているはずはないのに、踏み台へ上るのもよちよちとたいへんぎこちなく、片足を踏み台に乗せたまま、残りの足を何度も何度も踏んばっている。
 爺さんは、腹這いになって枕元の煙草盆を引きよせて、ぷかりぷかりと吸いながら見ていたが、とうとう我慢しきれず、「俺がとってやろう」と、思わず大きな声を出してふとんから起き上がった。
 その声にびっくりした婆さんは、踏み台から足を外しいろりへ転がりこんだが、這い出すと土間へすべり降りそのまま姿を消してしまった。辺りには毛の焦げるにおいが一面立ちこめている。あわてて爺さんが「どうした」と土間へ飛び下りたら、見当違いの納戸から婆さんが寝ぼけまなこをこすりながら、「何を一人で騒いでいるんですよ」と出てきた。
 二、三日たって、物置の陰で死んでいる狐が見つかったが、前足をひどくやけどして、腹の毛もまっ黒に焦げていた。いろりの埋め火に足を突っ込んでしまったものだろう。
 以前の農家は、床下など風が吹き抜ける状態で、猫はもちろん犬でも狐でもどこからでも入れるくらいの開放的な作りの家が多く、ドアやサッシで密閉されている近代住宅に住む人たちは想像できない生活だった。

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