性は善なり狐の改心

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ページ番号1000843  更新日 平成30年2月28日 印刷 

天保(1830~43年)のころ、国分に百姓をしながら、片手間に豆類や菜種などの農産物を藤沢まで運び、帰りに乾鰯(ほしか)などを積んで帰る賃かせぎをしていた馬方がいた。
藤沢は、後北条氏時代から小田原とともに商家が軒を並べ、地方産物の集散地でもあった。海が近くて鮮魚が安く手に入るので、秋から春先までの魚のいたまない時期には、よく、知り合いや近所の人に頼まれてはたくさん買い入れて帰ったが、それが家に着くと無くなっていることが度々あった。
どうも帰り道の途中から一緒になる道連れや、馬に乗せてやったものが別れるときに持っていってしまう、としか考えられない。
そこである日、わざと近所から癇の強い馬を借りて荷を運び、帰りに鮮魚だけ鞍につけてくると、予想通り根恩馬の辻にかわいい娘がしゃがんでいる。知らん顔で通り過ぎようとすると、「疲れて歩けないので、早川(綾瀬市)の大門まで乗せてください」という。
「この馬は癇が強くて、気に障ると人を振り落とすから危い」というと、それでも構わないという。
馬方は娘を乗せて歩き出すと、馬の大きな鼻の穴に指を突っ込んだ。猫は耳の穴に触られるのを嫌い、尻尾に触れると噛みつく犬もいるが、この馬は鼻の穴が急所だった。ぶるぶると鼻を鳴らすと、ぽんと尻を跳ね上げ、その反動で急に竿立ちになって娘を振り落とした。
承知でやったことだから思うつぼで、馬方は、「危いから乗るのは止めろ」と言ったが、それでも娘は乗せてくれというので、「落ちないように」といって娘の足を荷縄で鞍に縛りつけてしまったが、これも馬方の計略だった。
早川の大門近くへ来ると、娘が下ろしてくれと度々言ったが、知らん顔をしてポクポクと上ん台辺りまで来ると、娘はとうとう泣き出して、「今までは悪いことばかりして申し訳ありませんでした。もうこれからは絶対に騙しませんから許してください」と、両手を合わせて頼んだ。
いくらもがいても、足が鞍に結えてあるのでどうすることもできない。馬方は、とうとうそのまま娘を自分の家まで連れてきてしまった。
家から出てきた母親に一部始終を話すと、信仰心の厚い母親は、「生き物はすべて仏性を持っていると聞いています。自分で悪かったと気がついているのだから許してあげなさい」と息子を説得し、馬上の娘には、「人を騙して物をとることはしないように」と言い聞かせて荷縄を解いてやると、娘は馬から飛び下り、大きな狐の姿になって何度も何度も頭を下げて姿を消した。
何日かたった風の強い晩、表で狐が鳴きたてるので親子が外へ出て見ると、隣家の失火で既に物置に火がまわっていた。物置の隅は馬小屋になっていたが、早く気が付いたので馬は助け出すことができた。
また大雨の降った翌日、母親が横穴に保存しておいた芋をとりにいったときも、急を告げるように狐が激しく鳴くので急いで穴から出て見ると、その直後目の前で赤土の横穴が崩れ、あとかたもなくなってしまった。本当に間一髪のところだった。
その後も、この家では何か変わったことが起こる前には、必ず狐が騒ぎ立てて知らせてくれた、ということである。

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