蛭沼の鰻

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ページ番号1000834  更新日 平成30年2月28日 印刷 

海老名耕地には沼が多かったが、いずれも古い相模川の跡で、国分の尼寺下にも蛭沼という沼があって、夏になるとその名のように蛭が繁殖して、いつも水面をうねうねと泳ぎ回っていた。
沼全体が浅く、危険な所がなかったので、子供が集まりよくぶってで雑魚すくいをしていたが、沼へ一歩足を入れると寒気がするほど蛭がうようよ集まって吸いついた。
水蛭は扁平で細長く、体の前端と後端に吸盤があって吸いついてしまうと離れないし、取ろうとしてもぬるぬるとしてつまみにくいうえに、引っ張るとゴムのように伸びてなかなか取れないので、子供たちは草をむしり取り、束子(たわし)のように丸めてこすり落としていたが、吸いついた傷口から流れる血は、なかなか止まらなかった。
修業の旅をしていた弘法大師が通りかかり、これを見て「どうしたのか」と尋ねると、子供たちは口をそろえて、「蛭んぼが吸いついたんだ!」
と答えたが、血をたくさん吸って、ほうずきのように膨らんだ蛭が踝(かかと)の陰にぶら下がったままの子供もいた。
弘法大師が呪文を唱えると蛭はぽろりと落ちたが、真っ赤な血が後から後から流れ出るので、道端の草を摘み取り
「これは血止め草と言って、この葉をこうして貼るとすぐに止まるよ」
と、その銭形の葉で傷を押さえた。子供たちが先を争ってその葉を摘み取り、それぞれの傷口に貼ると、出血はみんなぴたりと止まった。
この草は人家近くの湿地などに自生するセリ科の多年草で、農村では今でもこれを血止め草と呼び、揉んで血止めに使う。
大師が魚籠の中のたくさんの鰻を見て「鰻を売ってくれないか」というと子供たちはびっくりして、「坊さんが鰻を食うのかい?」と聞き返した。
「食うのではない」
「では、どうするの?」
「鰻に頼むことがあるのだ」
「何を頼むの?」
「この沼には蛭が多過ぎるので、それを食ってくれるように頼むのだ」
「そんな頼みごと鰻に通じるかなあ」
子供たちはがやがや騒いでいたが、金をもらって鰻を渡すと、ちりぢりに帰っていった。
大師は子供たちから買い取った鰻にいちいち呪文を唱えて沼へ放したが、なおしばらく沼のほとりに立って読経を続けていた。
うようよ泳ぎ回っていた蛭沼の蛭は、その後めっきり少なくなり、雑魚すくいをする子供たちが足から血を流している姿はあまり見掛けなくなったが、その後ここでとれる鰻はみんな蛭を腹いっぱい食っていた。
村人たちは旅の坊さんの願いによって、鰻が蛭を食ってくれるものと信じていたが、全く蛭が姿を消してしまった訳ではなく、夏になるとなお多少の蛭が泳いでいた。
これは腫れ物の治療に膿を吸わせるという目的のための配慮だからだったと言い伝えられていた。これが血吸蛭(注1)で、悪血を吸い取らせて病気を治す医療は、古くから民間療法として用いられているが、弘法大師が伝えたものだとされている。
血吸蛭は一度人間の毒血を存分に吸うと以後は人間には吸い付かず、ドジョウのように大きく肥えて一生を終わると言われ、それが馬蛭(注2)だと信じられている。
もしそのとおりならば、人間も悪い血を吸い取ってもらって病気が治りありがたいことだが、蛭もたとえ毒血であっても一度存分に吸えば、二度と人間の血を吸わないで丸々と肥えて一生を終えるということになり、人間も蛭も共ども幸せなことである。
爪楊枝のような細い蛭に吸いつかれても、出血が止まらなかったり痒かったりで大変なのに、ぞっとするような超大型の馬蛭に吸いつかれたらどうなることかと思うが、馬蛭が人間に吸いついた話は聞いたことがない。
海老名耕地が湿田だったころは、沼や小溝でも鰻がよくとれたが、そのころ鰻を料理したことのある人は、蛭をたくさん食べていたことを知っているはずである。
もともと浅かった蛭沼は、度々の洪水で埋まってしまったので、弘法大師の伝説は消えてしまったが、その名だけは地名となって残っている。
この話は、蛭沼の水田を代々耕していたという旧家の言い伝えである。秦野には水無川や弘法山の伝説があり、海老名の上今泉には三日月井戸と亀島の水イモの言い伝えがあるが、川崎市の麻生区高石にも弘法の松の話が伝えられている。これらの土地をつないだ線が、弘法大師が旅をした道筋だったのだろう。

(注1)血吸蛭
中国には古くから蛭に悪血を吸わせるという治療があったので、空海が留学中に学んできたものと思われる。漢方では、蛭の分泌物には局所を麻酔状態にさせ、血液の凝固を防ぎ、血管を拡張させるなどの作用があるとされている。

(注2)馬蛭
普通の蛭とは異種の蛭で、動物の血は吸わず植物質を栄養源としている

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