拾い親

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ページ番号1000820  更新日 平成30年2月28日 印刷 

一般に健全な常識で判断して、合理的科学的な根拠のない生活知識や生活技術のうち、実害を伴わないものを俗信というのだそうであるが、市内には生まれた子が健康に育つようにと、誕生間もない赤子を捨て、それを他人に拾ってもらうという俗信的な風習があった。
私の家では、私を頭に男ばかり続けざまに四人生まれたので、父母は一人ぐらいぜひ女の子がほしいと望んでいた。その念願かなって次には女児が生まれたが、不幸にも二歳足らずで亡くなってしまった。初めての女の子だったので、みんなで大切にかわいがって育てていたのに病気には勝つことができなかった。父母は、「せっかく女の子ができたのになあ」と折に触れては惜しがっていた。それは私たち兄弟も同じ思いであった。
一般的に、女親としては男親以上に特に女児がほしいものだということである。成長後、他家へ嫁がせた後々までも女は女同士で話題も共通し、お互いに訪ねたり訪ねられたりするのが何よりの楽しみの一つであるという。今にして、当時の母の心境をつくづくと思うのである。
四年後、再び待望の女児が生まれた。家中大喜びで、今度こそ丈夫に育ってほしいと、かねてから聞き及んでいた拾い親の風習に従うことにした。これについては、祖母の提言があったのかも知れない。父母にしてみれば、藁をもつかむ思いであったに違いない。
あらかじめ、拾い親は隣のおばさんにお願いし、その承諾を得て、捨てる場所、時刻など事前に打ち合わせが行われた。このおばさんは健康で才気煥発、女傑肌で、拾い親になってもらうには申し分のない人であった。
赤ん坊は、寒くないように産着の上に更にねんねこばんてんで暖かく包み、祖母が隣の庭先にそっと置いた。私も後からついていって見たが、当時は霜解けで庭がぬかるみにならないように、農家はどこでも藁を敷いて置いたので、着物も汚れる心配はなかった。
機を逸せず隣のおばさんは出てきて早速抱きかかえ、「おお、おお、よい子だ、よい子だ。早く大きくなるんだよ」といたわりの言葉を投げかけた。そして、その足で母の寝床の中へ添い寝させてくれた。
名前を付ける段になって、私は父に美代子という名がよいと進言した。どうか美しく長命であるように、との願いを込めての名前である。父は素直に従った。多分、前の赤子を父が命名して悪い結果になったので、縁起を担いだのであろう。
しかし、こんなにまで周囲で気遣っていたのに、急性肺炎を起こして、生後わずか十二日目の二月二日にあの世に旅立ってしまったのである。
今思えば、生活環境も十分でない上、自宅分娩、妊産婦に対する衛生思想の低さ、乳幼児対策の不備などから乳幼児の死亡率も高かったのであろうが、これに対するのに蟷螂の斧にも等しい呪術的な拾い親の習わしとは、随分非科学的なことをしたものだ、とつくづく感じるのである。
日本民族会会員の故丸山久子先生はある書に、「拾い親の風習は、子供が幾度生まれても夭折するとか、父親が四十二歳になる年に二歳になる子は四十二の二つ子というが、このような場合にいったん捨てて、それをしかるべき人に拾ってもらい、改めて引き取って育てるというもので、こうすれば無事に育つという言い伝えがある。つまらぬことをしたものだと批判する前に、何とかして健やかな成長を願う切実な親心を思いやるべきであろう」と評している。
近年は現代医学のお陰で、日本の乳幼児の死亡率は世界でも低レベルだそうである。まことに隔世の感がある。

参考 海老名むかしばなし第1集「四十二歳の二歳児」

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