油砥め小僧

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ページ番号1000786  更新日 平成30年2月28日 印刷 

市内に数ある寺の中でも古い歴史を持つ由緒ある寺だから、昔から金持ちや格式のある壇家が多かったのだろう。境内には寄進された大小何対もの石灯籠が立ち並んでいる。
寺に灯籠を寄進する場合は、同時に永代灯明料も納めるから、夕方になると灯袋に油を注ぎ足してひと晩中灯をつけておくのが普通で、これを常夜灯と呼ぶが、この寺では半年ほど前から常夜灯が夜半にみんな消えてしまうので不思議に思っていた。
ある晩、住職が壇家の法要から帰ったら、まだ宵のうちだというのにもう何基もの灯籠の灯が消えていたため、寺男や納所が呼びつけられてひどく叱られた。
「油皿には十分油をさしているのですが、どうしたわけかたちまち切れてしまうのです」と、一同口をそろえて言い訳をするので「夜間もよく見回るように」ということでその晩はおさまったが、その後消えかかった灯籠を見つけた寺男が油差しを持って近づくと、黒い影が突然石灯籠を離れて逃げ去った。
その後も度々そういうことがあったので、臆病な寺男は夜間、灯籠に近づかないようにしていたが、このことを聞いた役僧が不寝番に立って調べてみると、寺男のいうとおり、灯籠に取りついた黒い影がしきりに油を舐め、舐めつくして灯が消えると別の灯籠に取りつき、ひと晩のうちにみんな消してしまうことがわかった。
しかし、その黒い影が何であるかわからず、それを油舐め小僧と呼んで警戒したが、近づけば姿を消し、離れればまた姿を現す出没自在の怪物には手のつけようがなかった。
そこで一計を案じ、何基かの灯籠の灯袋の部分をことさらにずらせて不安定な位置に重ねて、触れるとわずかな衝撃でもすぐ倒れるように仕掛けておいた。
その晩、灯籠の倒れる地響きがしたので翌朝さっそく見にいくと、崩れ落ちた石の下敷きになって大きな狐が死んでいた。
これは江戸末期の万延年間(1860年~)のころの話で、年代的にもそんなに古いことではないので、現住職も知っているのではないかと思って訪ねてみた。
若い住職は「そんな面白い話が当山にあるとは意外です」と神妙な態度で応待していたが突然、豪快に笑い出し「その油舐め小僧は今もいますよ」という。
「えっ、どこに」と聞き返すと「どこの職場にもどの社会にもいるんじゃないですか。行く先々で人心を荒廃させ、悪習と混乱を残してまた次の職場へ移って行く古狐のような人間、人々の灯まで消してそ知らぬ顔をして栄転していく化け物人間、みんな油舐め小僧ですよ。でも天網恢々疎にして漏さずで、最後は石灯籠の罠にかかった狐のように厳しい天の裁きを受けることになるでしょうがね」、住職はひと息ついて話を続け「この話、仏教講話に使わせてください。面白い話題ですよ。よく調べたら油舐め小僧の正体は住職だったりしてね。油を買う前に永代灯明料を全部飲んでしまったなんて、案外現実にはそんなこともあるんじゃないですか」と呵呵(かか)大笑した。
若い世代の奔放闊達な発想と融通無碍の思考に一瞬戸惑ったが、そう言われてみれば各界のお偉いさんの中にも油舐め小僧がいるような気がする。

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