狐に育てられた娘

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ページ番号1000764  更新日 平成30年2月28日 印刷 

杉久保に長安寺と呼ぶ小字があるが、昔、そういう名前のお寺があったためで、この地域は長い間、長安寺原とも言われていた。
享保(1716~35年)の頃、本村から離れたこの原っぱの一軒家に、貧しい百姓の夫婦が住んでいた。当時は農作物を猪や鹿、兎などの害から守るため、「猪落とし」という大きな堀が各所にあったが、あるとき、この夫婦は猪落としに落ちて出ることができず、衰弱し切っている狐を助けて家に運び、世話をしてやった。元気になった狐は何日かの後に姿を消した。
この話を聞いた或る寺の住職が、お施餓鬼説教の折、「おしなべて貧しい暮らしをしている人の方が、心豊かで慈悲心がある」と言ったそうだが、そうかもしれない。
夫婦の間にやがて女の子が生まれたが、妻は産後の肥立が悪く、生後百日もたたない乳飲子を残して亡くなってしまった。
預ってくれるような家もなく、貰い乳をして歩いていたのでは仕事もできない。育つ見込みはまず無かったが、お粥を作って布巾で漉(こ)しては与え、その日その日をしのいでいるうちに赤子はだんだん大きくなっていった。
夜間、乳を求めて泣くことがあっても、すぐ泣き止んですやすや眠るので、疲れている父親にとっては、それは何よりの救いであったが、或る晩、闇の中に何か生き物の気配を感じ、赤子のことが気にかかるので行燈に火を入れて見たら、大きな狐が赤子に添い寝をしていた。
女の子は狐の乳に育てられ大きくなり、一人遊びをするようになったが、全く口をきかず、何を言っても訳のわからない叫び声しか出さないので、言語に障害のあることに気がつき、失望もし悲しみもしたが、不思議な力を持っているのは驚異であった。
父親が鎌や鍬で負傷すると女の子は必ずその傷口を舐めるのだが、一度で痛みがとれ出血が止まることは、まことに奇跡というべきものであった。
このことが評判になり、寺の住職が引き取って世話をしたいと連れて行ったが、寺には治療の希望者が列をなした。
娘が七歳のときのことである。地元の名家で殿様から拝領した大切な品物が紛失したというので大騒ぎになり、主人が途方に暮れて住職に相談にきた。そばで聞いていた娘は、「その品は土蔵の二階、窓際の箱の中にあります」とはっきり言った。
ものが言えないと思っていた娘が言葉を発するのさえ驚きであるのに、その言葉通りになくなったと言った品物があったのでますます評判になった。遠方から失せ物の鑑定に来る者も多く、寺は思わぬ繁盛をしたが、娘が十五歳になったとき寺社奉行よりお達しがあって、寺へおくことができなくなった。
いったん父親のもとに帰ったが、この美貌の娘も狐の乳で育ったということと、霊感があり過ぎるため誰もが恐れて嫁に貰い手はなかったので、十七歳のとき領主に伴われて江戸へ出てしまった。その後のことははっきりしないが、或る社の巫女となり、霊能を発揮し高齢で一生を終わったと伝えられている。

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